渋沢 栄一 しぶさわ えいいち

1840年 - 1931年 幕末 - 昭和時代初期
生没年月日: 天保11年2月13日(1840年3月16日) 〜 昭和6年11月11日(1931年11月11日)
出身: 武蔵国(埼玉県深谷市) 実業家、官僚、思想家
約500もの企業の設立に関わり「日本資本主義の父」と呼ばれた、近代日本経済の最強のクリエイターです!裕福な農家に生まれ、商売のセンスを磨いていましたが、幕末の混乱の中で過激な尊皇攘夷の志士となりテロを計画。しかし一転して、のちの将軍・徳川慶喜に仕える幕臣へと劇的な転身を遂げます。パリ万国博覧会への随行でヨーロッパの進んだ資本主義(株式会社)の仕組みに特大の衝撃を受けました。帰国後は新政府の大蔵省で富岡製糸場の設立など国の土台作りに奔走し、退官後は日本初の銀行である「第一国立銀行」を創設。財閥のような独占を嫌い、みんなでお金を出し合って利益を分かち合う「合本主義」を貫きました。名著『論語と算盤』で「道徳と経済の両立」を説き、600以上の社会公共事業にも尽力した、新紙幣の顔にふさわしい偉大なる巨人のストーリーです!
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商才を磨いた農家での原体験

1840年、武蔵国(埼玉県)で藍玉(染料)の製造販売や養蚕などを広く手掛ける裕福な農家の長男として生まれました。幼い頃から家業を手伝い、10代の頃には一人で藍の葉の買い付けを任されるほどでした。この時に培った「良いものを見極める目」や「利益を計算する感覚」が、のちの大実業家としてのルーツとなります。
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テロリスト寸前?過激な尊王攘夷志士

青年になった栄一は、幕末の激動の中で「外国を打ち払え!」という尊王攘夷の思想に激しく傾倒します。そしてなんと、仲間たちと一緒に「高崎城を乗っ取り、武器を奪って横浜の外国人居留地を焼き討ちにする」という超過激なテロ計画を企てました!すんでのところで仲間に説得されて中止しましたが、命知らずの熱血漢だったのです。
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運命の急展開!一橋慶喜への仕官

テロ計画を中止して京都へ逃げた栄一ですが、ここであり得ない急展開が待っていました。以前から面識のあった一橋家(のちの15代将軍・徳川慶喜の家)の家臣である平岡円四郎にスカウトされ、なんと「倒そうとしていた幕府(将軍家)」に仕えることになったのです!持ち前の経済感覚で一橋家の財政を立て直し、慶喜から厚い信頼を得ていきます。
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パリ万博で知った株式会社の魔法

1867年、慶喜の弟・徳川昭武のお供として「パリ万国博覧会」へ派遣されます。栄一はヨーロッパの進んだ技術や巨大な工場、そして何より「みんなでお金を少しずつ出し合って大きな事業を起こす『株式会社』の仕組み」に心底から度肝を抜かれました。「日本を強くするには、武力ではなくこれしかない!」と確信した瞬間です。
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日本初の株式会社的組織「商法会所」

帰国すると、すでに幕府は倒れていました(大政奉還)。静岡へ移った徳川慶喜の後を追った栄一は、フランスで学んだ株式会社の仕組みを早速実践するため、静岡に「商法会所」という金融と商社を兼ねた組織を立ち上げます。これが日本で最初の株式会社的な組織と言われており、大成功を収めました。
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新政府・大蔵省での奮闘とあっさり退官

その圧倒的な商才が明治新政府(大隈重信ら)の目に留まり、「ぜひ大蔵省(今の財務省)で働いてくれ!」と熱烈なオファーを受けます。栄一は戸籍制度の整備や新しい貨幣の制定、富岡製糸場の設立など、近代国家の土台作りに猛烈な勢いで貢献しました。しかし、軍事費の増大を巡って政府と対立し、井上馨とともにスパッと官僚を辞めてしまいます。
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日本初!第一国立銀行の設立

官僚を辞めた直後の1873年、栄一は日本で最初の銀行である「第一国立銀行(現在のみずほ銀行のルーツ)」を設立し、総監役(後に頭取)に就任します。お金を集めて産業に融資するという、まさに近代資本主義の心臓部(ポンプ)を作り上げ、ここを拠点に日本の産業革命を強力に推し進めていきました。
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私腹を肥やさない「合本主義」の精神

栄一のスゴいところは、500社以上(王子製紙、東京海上保険、東京ガス、帝国ホテルなど)の企業設立に関わりながら、「渋沢財閥」という自分の巨大な帝国を作らなかったことです。「一部の人間が利益を独占するのではなく、みんなで豊かになるべきだ」という「合本主義(がっぽんしゅぎ)」を貫き、事業が軌道に乗るとあっさりと株を手放しました。
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名著『論語と算盤』道徳と経済の合一

「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」。栄一の哲学が詰まった著書が『論語と算盤(ろんごとそろばん)』です。お金儲け(算盤)は決して悪いことではないが、それは常に人としての正しい道(論語)に基づいたものでなければならないと強く説きました。現代のビジネスマンにも読み継がれるバイブルです。
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ノーベル平和賞候補!社会公共事業への愛

実業界を引退した後も、彼のエネルギーは衰えません。日本赤十字社や養育院(身寄りのない子供や老人を保護する施設)の支援など、なんと600以上の教育・社会福祉事業に尽力しました。また、アメリカとの民間外交にも奔走し、その多大な貢献からノーベル平和賞の候補にも選ばれました。生涯を通じて日本を愛し、豊かにし続けた91年の大往生でした。
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