1872年、東京の役人の家に次女として生まれます。幼い頃は非常に裕福な家庭環境で育ち、重度の近視でありながらも、図書館に通い詰めて『南総里見八犬伝』などの古典文学を読み漁る、本の大好きな文学少女でした。
14歳の時、中島歌子が主宰する上流階級の令嬢たちが通う名門歌塾「萩の舎(はぎのや)」に入門します。ここで彼女は和歌と古典の圧倒的な才能を開花させ、良家のお嬢様たちの中でも一際目立つ優秀な成績を収めました。
しかし、幸せな日々は長く続きません。兄の病死、さらに事業に失敗した父が急死するという悲劇に見舞われます。わずか17歳にして彼女は樋口家の戸主(大黒柱)となり、莫大な借金と、母と妹を養うという重すぎる責任を背負うことになりました。
針仕事などで必死に働きますが、生活は苦しくなる一方。そんな時、「萩の舎」の先輩(三宅花圃)が小説を書いて多額の原稿料を得たことを知り、「私も筆一本で家族を養う!」と、本格的にプロの小説家になることを決意しました。
新聞小説家であったイケメンの半井桃水(なからいとうすい)に弟子入りし、小説の書き方を学びます。一葉は彼に淡い恋心を抱きますが、「二人が不適切な関係にある」というスキャンダラスな噂が立ち、歌塾の体面を守るために泣く泣く師弟関係を断ち切りました。
どん底の生活苦の中、遊郭として有名な「吉原」の近く(現在の台東区竜泉)に引っ越し、日用品や駄菓子を売る小さな「荒物屋」を開業します。商売はうまくいきませんでしたが、この過酷な下町で底辺を生きる人々の姿を観察したことが、のちの名作の原動力となります。
1894年末、『大つごもり』を発表したのを皮切りに、彼女の才能が爆発します!ここから亡くなる直前までのわずか1年2ヶ月の間に、『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』といった大名作を次々と世に送り出すという「奇跡の14ヶ月」を現出させました。
代表作『たけくらべ』は、吉原の近くに住む少年少女たちが、大人(遊女や僧侶)の社会へと組み込まれていくことで純粋な子供時代が終わってしまうという哀しみ(成長の痛覚)を、流麗な擬古文で見事に描き切った日本文学の最高傑作です。
『たけくらべ』を読んだ当時の文学界のトップ・森鴎外や幸田露伴、斎藤緑雨らは衝撃を受け、「本当の天才が現れた!」と彼女を激賞しました。貧しい無名の女性作家が、実力だけで一気に日本文壇の頂点へと登り詰めた瞬間でした。
栄光の絶頂を手にした矢先、当時不治の病であった肺結核に侵されてしまいます。鴎外らが当代一流の医師を手配しますが願いは届かず、1896年にわずか24歳で短い生涯を閉じました。彼女の強さと文学的功績は永遠に讃えられ、2004年には女性初となる五千円札の肖像画に選ばれました。