1836年、江戸の下町で幕府の役人の子として生まれました。幼い頃から大変優秀で、長崎海軍伝習所に入所し、アメリカから帰国したジョン万次郎から英語や航海術を学びました。さらにオランダ語も猛勉強し、国際的な視野と最新の科学技術をグングン吸収して、幕府の期待の星となっていきます。
1862年、26歳の時に幕府の留学生としてオランダへ渡航します。ここでなんと約5年間も滞在し、軍艦の操縦や大砲の技術だけでなく、国際法、造船学、さらには化学や蒸気機関の仕組みまで、ヨーロッパの最先端技術を徹底的にマスターしました。まさに「何でもできる万能の天才」として成長したのです。
1867年、榎本はオランダで建造された最新鋭の軍艦「開陽丸(かいようまる)」に乗って日本へ帰国します。開陽丸は当時のアジアで最強クラスの軍艦であり、帰国した榎本は幕府海軍のトップ(海軍副総裁)に大抜擢されます。しかし、彼が帰国した時、日本はまさに「大政奉還」が行われ、幕府が崩壊していく激動の真っ只中でした。
1868年、新政府軍と幕府軍の間で戊辰戦争が勃発。勝海舟と西郷隆盛の会談によって「江戸城無血開城(平和的な降伏)」が決定し、新政府から軍艦を引き渡すよう命令されます。しかし榎本は「戦わずして最強の艦隊を渡せるか!」と激しく反発し、悪天候を突いて開陽丸などの艦隊を率いて江戸から北へ脱走してしまいます!
榎本艦隊は、土方歳三ら幕府の残党軍と合流しながら北上し、ついに北海道(蝦夷地)の函館にある星型の要塞「五稜郭(ごりょうかく)」を占領します。そして、なんと日本で初めての「選挙」を行い、自らが総裁(大統領)となって、事実上の独立国家である「蝦夷共和国(えぞきょうわこく)」を樹立するという前代未聞の行動に出ました!
しかし、運命は彼に味方しませんでした。最大の武器であった最強軍艦「開陽丸」が、江差沖で暴風雨に遭い、なんと戦わずして座礁・沈没してしまったのです!制海権を失った榎本軍は、圧倒的な物量で攻め寄せる新政府軍を前に大苦戦を強いられます。土方歳三らも激戦の中で次々と命を落とし、五稜郭は完全に包囲されてしまいました。
敗北が避けられないと悟った榎本は、オランダ留学時代から大切にしていた国際海洋法の専門書『海律全書』が戦火で燃えてしまうことを惜しみ、「これは日本の未来に必要な本だ」と敵の司令官である黒田清隆(くろだ きよたか)に贈りました。黒田は榎本の日本の未来を想う深い教養と器の大きさに、激しく心を打たれました。
1869年、榎本はついに降伏し、東京の牢獄に入れられます。新政府内では「反逆の首謀者だから死罪にしろ!」という声が圧倒的でした。しかし、敵将であった黒田清隆は「彼ほどの優秀な頭脳を殺しては日本の損失だ!」と、なんと自分の頭を丸坊主にし、「私の命と引き換えに彼を助けてくれ」と必死に命乞いをしたのです。
黒田の必死の嘆願により奇跡的に死罪を免れた榎本は、出所後、なんと自分を死刑にしようとした明治政府の役人として働き始めます!1875年には特命全権公使としてロシアへ赴き、極めて困難な交渉の末に「樺太・千島交換条約」を締結!武力ではなく高度な国際法の知識と外交術によって、日本の国境を平和裏に画定するという歴史的偉業を成し遂げました。
その後も榎本の快進撃は止まりません。海軍卿(海軍大臣)、逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣など、内閣の重要ポストを次々と歴任しました。さらに、現在の東京農業大学を創設し、気象学会や電気学会の会長を務めるなど、政治だけでなく科学や教育の分野でも超一流の功績を残し、1908年に72歳でその波乱万丈すぎる生涯を閉じました。