柴田 勝家 しばた かついえ

1522?年 - 1583年 戦国時代 - 安土桃山時代
生没年月日: 大永2年(1522年)※諸説あり 〜 天正11年4月24日(1583年6月14日)
出身: 尾張国(愛知県名古屋市) 武将、大名
織田信長に最も長く仕え、誰よりも深く忠誠を誓った織田軍の「筆頭家老」です!若い頃は信長の弟・信行に仕えて信長に反逆しましたが、その器の大きさに触れてからは絶対の忠誠を誓うようになります。戦場では常に先陣を切って突撃し、「鬼柴田」「かかれ柴田」と敵から恐れられる最強の猛将でした。水を貯めた瓶を割って背水の陣を敷く「瓶割り柴田」の伝説も有名です。信長死後の「清須会議」ではライバルの羽柴秀吉と激しく対立。絶世の美女であるお市の方(信長の妹)と結婚して対抗しますが、「賤ヶ岳の戦い」で無念の敗北を喫します。最後は居城である北ノ庄城で、お市の方とともに炎の中で自害。最後まで不器用なまでに武士の意地と誇りを貫き通した、戦国一の熱い男のストーリーです!
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信長の弟・信行の家老として反逆

1522年頃、尾張国(愛知県)で生まれました。当初は「大うつけ(バカ者)」と呼ばれていた織田信長を嫌い、優秀だと評判だった信長の弟・織田信行(信勝)の家老として仕えました。信長を当主の座から引きずり下ろすため、林秀貞らと共に反逆し「稲生の戦い」で信長軍と激突します。
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敗北と許し、そして絶対の忠誠へ

しかし「稲生の戦い」で信長の圧倒的な実力の前に大敗してしまいます。処刑される覚悟を決めましたが、信長は彼の実力を惜しんで罪を許しました。この信長の器の大きさに深く感動した勝家は、以降、生涯にわたって信長に絶対の忠誠を誓う「最も頼れる家臣」へと生まれ変わります。
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恐れられた猛将「鬼柴田」「かかれ柴田」

織田軍の主力として数々の激戦に参加し、常に軍の先頭に立って敵陣へ突撃しました。その人間離れした勇猛果敢な戦いぶりから、敵からは「鬼柴田」と恐れられ、味方からは突撃の合図である「かかれ柴田」の異名で呼ばれました。織田軍の武の象徴とも言える最強の猛将でした。
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決死の突撃!「瓶割り柴田」の伝説

1570年の長光寺城の戦いでは、六角軍に城を包囲され、水を止められて絶体絶命のピンチに陥ります。勝家は残されたわずかな水を兵士たちにすべて飲ませた後、なんと水を貯めていた瓶(かめ)を自ら叩き割りました!「もう後はない、死ぬ気で戦え!」と決死の突撃を敢行し、見事に敵を打ち破るという伝説を残しました。
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織田家筆頭家老!北陸方面軍司令官へ

数々の武功を積み重ねた勝家は、名実ともに織田家の「筆頭家老(ナンバーワンの家臣)」へと上り詰めます。信長から越前国(福井県)など北陸方面の平定という最前線の重要任務を任され、北ノ庄城(福井市)を築いて軍事・政治の拠点とし、一向一揆などを力強く鎮圧していきました。
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軍神・上杉謙信との激突と秀吉との不和

北陸を平定しながら進軍する勝家の前に、越後の「軍神」上杉謙信が立ちはだかります。1577年の「手取川の戦い」で両軍は激突しますが、この直前に作戦の意見対立から羽柴(豊臣)秀吉が勝手に陣を離脱してしまうというトラブルが発生!連携を乱した織田軍は、謙信の巧みな戦術の前に大敗を喫してしまいます。
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本能寺の変!身動きが取れなかった無念

1582年、主君・信長が明智光秀に討たれる「本能寺の変」が勃発!勝家はすぐに光秀を討ちに行きたかったのですが、目の前に上杉景勝の軍勢が迫っており、北陸から身動きが取れませんでした。その間に、中国地方から素早く引き返してきたライバルの秀吉に、光秀討伐の最大の功績を奪われてしまいます。
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清須会議での敗北と、お市の方との結婚

信長の跡継ぎを決める「清須会議」が開かれます。勝家は信長の三男・信孝を推しますが、光秀を討った実績で発言力を増した秀吉が孫の三法師を推し、政治的な主導権を握られます。勝家は秀吉を牽制するため、信長の妹で戦国一の美女と名高い「お市の方」と結婚し、織田家内での権威を高めようとしました。
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決戦・賤ヶ岳の戦い!痛恨の裏切り

1583年、天下の実権を巡り、勝家はついに秀吉と「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」で直接対決します。しかし、甥の佐久間盛政が深追いして命令を無視した上に、与力であった盟友・前田利家が突如として戦線を離脱して寝返るという大誤算が発生!総崩れとなった勝家軍は、無念の敗北を喫してしまいます。
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北ノ庄城に散る!武士としての見事な最期

秀吉の大軍に居城・北ノ庄城を包囲された勝家は、お市の方の連れ子(浅井三姉妹)を逃がした後、城内で盛大な宴を開きました。そして「秀吉の振る舞いを憎みはしたが、奴は天下人にふさわしい男だ」と潔く負けを認め、妻・お市の方と共に燃え盛る城の中で壮絶な自害を遂げました。不器用なまでに真っ直ぐな、武将の鑑のような最期でした。
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