板垣 退助 いたがき たいすけ

1837年 - 1919年 幕末 - 明治時代
生没年月日: 天保8年4月17日(1837年5月21日) 〜 大正8年(1919年)7月16日
出身: 土佐国(高知県高知市) 武士、政治家
江戸時代末期から明治時代にかけて活躍し、「自由民権運動」の主導者として日本の民主政治(憲政)の基礎を築いた、熱血のカリスマ政治家です!土佐藩(高知県)の上士の家に生まれ、幕末の戊辰戦争では新政府軍の最前線を率いて大活躍したゴリゴリの武闘派でした。明治新政府の要職に就くも、征韓論を巡る対立で下野(辞職)。その後は「武力」ではなく「言論」の力で政治を変えるため、盟友の後藤象二郎らと共に「民撰議院設立建白書」を提出して国会の開設を激しく要求しました。全国を遊説して回る中、岐阜で暴漢に襲撃された際、「板垣死すとも自由は死せず」という歴史に残る名言を叫んだことで、民主主義のシンボル的な存在となります。日本最初の本格的な政党である自由党を結成し、近代日本の政党政治の扉を力強くこじ開けました。実はパリでルイ・ヴィトンのトランクを買っていたり、貴族の称号(伯爵)を「国民との間に壁ができる」と何度も固辞するなど、人間味と熱い信念にあふれた偉大な「庶民の父」のストーリーです!
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土佐の暴れん坊「乾退助」

1837年、土佐藩の上級武士(馬廻役)の長男として生まれました。幼名は猪之助、のちに乾退助(いぬい たいすけ)と名乗ります。若い頃は喧嘩っ早く頑固な性格でしたが、身分制度の極めて厳しい土佐藩の中にありながら、身分の低い郷士たちとも分け隔てなく付き合う豪快で親分肌な若者でした。
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戊辰戦争の猛将と「板垣」への改姓

幕末の動乱期、土佐藩の軍事責任者として新政府軍の主力部隊「迅衝隊(じんしょうたい)」を率いて戊辰戦争で大活躍します。甲州(山梨県)へ進軍する際、かつて武田信玄の重臣だった板垣信方の子孫であることをアピールして現地の民衆を味方につけるため、「板垣」と姓を改めました。
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西郷隆盛との絆と会津戦線

新政府軍の最前線で戦う中、薩摩藩の西郷隆盛と深く共鳴し、固い信頼関係を築きました。江戸城の無血開城にも尽力し、その後は激戦地である会津戦争でも優れた軍略を発揮して、新政府の勝利に多大な貢献を果たした「ゴリゴリの武闘派」だったのです。
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明治六年の政変と野に下る決意

維新後、明治新政府のトップ(参議)に名を連ねますが、韓国を開国させる「征韓論」を巡って大久保利通らと真っ向から対立。西郷隆盛や江藤新平らと共に政府を辞め(明治六年の政変)、野に下ることになります。ここから彼の人生は「武力」から「言論」へと大きくシフトしていくのです。
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歴史を動かす「民撰議院設立建白書」

1874年、盟友の後藤象二郎や江藤新平らと共に「民撰議院設立建白書」を政府に提出しました。「今の政治は一部の役人が権力を独占している!国民に選ばれた議員による国会を作れ!」というこの要求は新聞で大々的に報じられ、全国的な大ブームを巻き起こしました。
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自由民権運動のカリスマへ

故郷の高知で「立志社(りっししゃ)」を設立し、若者たちに自由と平等の思想を教育します。さらに全国の運動家をまとめる「愛国社」を創設。板垣は持ち前の熱い演説と親分肌なカリスマ性で、「自由民権運動」の絶対的なリーダーとして全国の民衆から熱狂的に支持されました。
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岐阜事件!「板垣死すとも自由は死せず」

1882年、岐阜で遊説を行っていた際、反対派の暴漢に短刀で胸を刺されてしまいます!血を流しながらも暴漢を睨みつけ、「吾死するとも自由は死せん(板垣死すとも自由は死せず)」と叫んだという伝説的なエピソードが報じられ、彼は日本の民主主義の神様のような存在となりました。
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日本初の本格的政党「自由党」の結成

1881年、国会開設の詔(10年後に国会を開くという約束)が出されたことを受け、日本初の全国的な本格的政党である「自由党」を結成し、総理(党首)に就任しました。フランスの急進的な思想を取り入れ、国民の権利を守るために強大な政府に立ち向かう強固な組織を作り上げました。
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洋行への批判とルイ・ヴィトンのトランク

1882年から後藤象二郎と一緒にヨーロッパを視察しますが、実はこの旅費が政府からの裏金だったことがバレて猛批判を浴びるという泥臭い一面もありました。ちなみにこのパリ滞在中、なんと日本人として初めて(あるいは最初期に)「ルイ・ヴィトン」のトランクを購入したという、意外すぎる記録が残っています。
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称号を拒否し続けた「庶民の父」

晩年は「特権階級ができると国民との間に壁ができる」と、政府から与えられた「伯爵」の称号を何度も断るという筋の通った生き方を貫きました(のちに天皇の強い意向でやむなく受諾)。1919年に82歳で亡くなるまで常に大衆の側に立ち続け、日本の民主政治の土台を創り上げた偉大な一生でした。
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