1835年、薩摩国(現在の鹿児島県)の身分の低い武士の家に生まれます。幼い頃に両親を亡くすという苦労を重ねますが、生来の真面目さと圧倒的な実務能力で頭角を現しました。この才能を同郷の偉人である大久保利通(おおくぼとしみち)に高く評価され、明治新政府において税金や財政を担うスペシャリストとして抜擢されます。大久保という強力な後ろ盾を得たことで、彼は近代日本の金庫番としての出世街道を力強く歩み始めました。
当時、西南戦争の戦費をまかなうために政府が大量のお札を刷った結果、物価が急上昇する深刻なインフレが起きていました。大蔵卿(のちの大蔵大臣)に就任した彼は、世の中に出回るお札を強制的に回収する「松方財政(まつかたざいせい)」と呼ばれる超・緊縮財政を断行します!これは物価を急落させる「松方デフレ」を引き起こし、多くの農民が没落して借金に苦しむという痛みを伴う劇薬でしたが、見事に日本経済の危機を救い出しました。
経済を安定させるためには、通貨の価値をコントロールする絶対的な機関が必要だと考えました。そこで1882年、ベルギーの制度などを参考にして、現在も日本経済の心臓部となっている「日本銀行(にっぽんぎんこう)」を創設します!それまで複数の銀行がバラバラに発行していた紙幣の発行権を日本銀行だけに独占させ、国がしっかりとお金を管理する近代国家としての見事な金融システム(中央銀行制度)を初めて完成させたのです。
1891年、山県有朋の後を継いで栄えある第4代内閣総理大臣に就任します。しかし、彼の内閣は苦難の連続でした。軍事費を増やしたい政府に対して、予算を削りたい民党(政党)が帝国議会で激しく対立したのです。追い詰められた松方は、日本憲政史上初めてとなる「衆議院の解散」に踏み切ります。さらに、その後の選挙で警察を動員して民党を妨害する「選挙干渉(せんきょかんしょう)」を行い、死傷者を出す大事件に発展してしまいました。
選挙干渉の責任をとって一度は総理大臣を辞任しますが、日清戦争後の1896年、再び第6代内閣総理大臣として政権を担当することになります。この時は前回の反省を活かし、対立していたはずの政党(進歩党)のトップである大隈重信(おおくましげのぶ)と手を組み、彼を外務大臣として内閣に迎え入れるという柔軟な対応を見せました(松隈内閣)。政党の力を借りて議会を乗り切ろうとした、彼なりの新しい政治手法の模索でした。
第6代内閣の時に、彼が長年夢見ていた最大の悲願が達成されます。それが「金本位制(きんほんいせい)」の確立です!日清戦争の勝利で清(中国)から得た莫大な賠償金(金貨)を元手に、「日本のお札はいつでも金(ゴールド)と交換できますよ」という国際的なルールを導入したのです。これにより日本の通貨は世界中から絶大な信用を獲得し、欧米との貿易や近代的な資本主義(しほんしゅぎ)経済への参加が爆発的に加速していくことになります。
強面で真面目な政治家の顔を持つ一方で、プライベートでは驚くべき伝説を持っています。なんと、正妻や側室との間に15男11女、合計26人もの子供をもうけた「驚異の子沢山」だったのです!あまりにも子供が多すぎたため、それぞれの顔と名前を一致させるのも一苦労であり、子供たちが立派に成長して様々な分野で活躍したことで、のちに「松方コンツェルン(巨大な企業グループ)」と呼ばれるほどの巨大な一族を築き上げることになりました。
そのあまりの子沢山ぶりは、宮中でも有名な話題でした。ある日、明治天皇(めいじてんのう)から直接「松方よ、お前の子はいったい何人おるのか?」と尋ねられた際、彼自身も正確な人数をパッと答えられず、「…後日、詳細を調査の上でご報告申し上げます」と真顔で答えてしまったのです!これには普段は厳格な天皇も思わず大爆笑したという、日本中がほっこりする微笑ましいエピソードとして、現在でも歴史ファンの間で語り継がれています。
政治手法は不器用で、議会運営では失敗も多かった松方ですが、お金の計算と国家財政の管理においては他の誰の追随も許さない天才でした。あの伊藤博文や山県有朋といった実力者たちでさえ、「財政のことなら松方に任せるしかない」と深く信頼し、何度も大蔵大臣を任されています。彼が造り上げた緻密で強固な財政システムがあったからこそ、日本は日清・日露という二つの巨大な戦争の戦費を調達し、近代国家として生き残ることができたのです。
総理大臣を退いた後も、国の重要な方針を決める「元老(げんろう)」の一人として、また天皇を補佐する内大臣として、大正時代に入っても長く政界のトップに君臨し続けました。薩摩出身の最後の生き残りとして重きをなし、1924年、89歳という当時としては驚異的な長寿を全うしてこの世を去ります。日本を世界レベルの経済大国へと押し上げ、近代資本主義の完璧な土台を造り上げた、偉大なる金庫番の波乱万丈で人間味あふれる生涯でした。