本多 忠勝 ほんだ ただかつ

1548年 - 1610年 戦国時代 - 江戸時代前期
生没年月日: 天文17年(1548年) 〜 慶長15年10月18日(1610年12月3日)
出身: 三河国(愛知県) 武将、大名
徳川家康に生涯仕え、徳川四天王の一人に数えられた戦国時代最強の猛将です!「家康に過ぎたるもの(家康にはもったいないほど立派なもの)」と敵からも味方からも大絶賛されました。愛槍「蜻蛉切(とんぼきり)」を振り回し、鹿の角の兜を被って戦場を駆け抜けました。生涯で57回の激戦に参加しながら、なんと「かすり傷一つ負わなかった」という信じられない伝説を持っています。織田信長からは「花も実もある勇士」、豊臣秀吉からは「日本第一、古今独歩の勇士」とベタ褒めされた、まさに日本最高のスーパー戦士の物語です!
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徳川への絶対的な忠誠心

1548年、三河国(愛知県)で松平家(のちの徳川家)に代々仕える家柄に生まれました。幼い頃に父を戦で亡くしますが、家康への忠誠心は誰よりも強く、13歳で初陣(初めての戦い)を飾ります。初陣では敵の首を自ら討ち取り、若くして類まれな戦闘センスを見せつけました。以来、家康の行くところには常に忠勝の姿があり、最も信頼される最強のボディーガードとして成長していきます。
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トレードマークは鹿の角の兜

忠勝といえば、巨大な鹿の角がついた兜「鹿角脇立兜(かづのわきだてかぶと)」と、肩から大きな数珠(じゅず)を下げた黒い鎧がトレードマークです!数珠には「自分が討ち取った敵の霊を慰める」という意味が込められていました。戦場でこの恐ろしくも神々しい姿が現れると、敵は「本多忠勝が来たぞ!」と震え上がり、味方は「忠勝様がいれば百人力だ!」と大いに勇気づけられました。
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名槍「蜻蛉切」の驚異的な切れ味

忠勝の愛用した武器は、「天下三名槍」の一つに数えられる「蜻蛉切(とんぼきり)」という長大な槍です!非常に重くて扱うのが難しい武器でした。名前の由来は「飛んできたトンボが槍の刃に止まった瞬間、スパッと真っ二つに切れてしまった」という驚異の切れ味から来ています。忠勝はこの恐るべき名槍を軽々と振り回し、敵を次々と薙ぎ倒しました。
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姉川の戦いで見せた鬼神の突撃

1570年の姉川の戦いでは、徳川軍が朝倉軍の猛攻を受けて大ピンチに陥ります。この時、忠勝は「ここは俺が食い止める!」と、わずかな手勢で朝倉の大軍のド真ん中に単騎で突撃を仕掛けました!このあまりにも無謀で勇猛な突撃に敵軍は混乱し、家康は見事にピンチを脱出。この戦いぶりを見た織田信長は「日本の張飛(三国志の猛将)だ!」と手放しで大絶賛しました。
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敵将・武田信玄も惚れ込んだ退却戦

1572年、最強の武田信玄の軍勢とぶつかった「一言坂の戦い」でのこと。徳川軍が負けて逃げる(退却戦)という一番危険な場面で、忠勝は最後尾(しんがり)を務めました。迫り来る武田軍を相手に、地形を活かして見事に味方を逃し切ります。これを見た武田軍から「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭に本多平八(忠勝のこと)」と、敵ながら最高の褒め言葉をもらいました。
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わずか500人で秀吉の大軍を止める

1584年の小牧・長久手の戦いでは、主君の家康が豊臣秀吉の大軍に囲まれそうになります。忠勝は家康を逃がすため、なんとわずか500の兵で、数万の秀吉軍の前に立ちふさがりました!馬に乗って川で悠々と馬の口を洗う忠勝の堂々とした姿に、秀吉は「あいつはわざと挑発して、家康を逃がす時間を稼いでいるのだ。絶対に撃つな!あのような勇士は生かして俺の部下にしたい」と感動し、攻撃を止めさせました。
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徳川四天王としての絶大な信頼

数々の絶望的なピンチを武力で救ってきた忠勝は、井伊直政、榊原康政、酒井忠次と並んで「徳川四天王」と呼ばれるようになります。家康からの信頼は絶大で、ただ強いだけでなく、陣形を組む軍略にも優れていました。他の武将たちが策を弄する中、忠勝は常に「正面突破」と「大将(家康)を守ること」に徹し、徳川軍の精神的な柱として絶対的な存在感を放っていました。
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天下分け目の関ヶ原の戦い

1600年の関ヶ原の戦いでも、忠勝はもちろん大活躍します!すでに50歳を超えていましたが、軍監(軍の監督役)として本陣で指揮を執りながら、自らも馬に乗って最前線へ飛び出しました。なんと、家康の陣に迫り来る敵軍をたった数騎で追い散らすという凄まじい武勇を見せつけ、90もの首級を挙げる大戦果を上げます。この功績により、伊勢国(三重県)桑名に10万石の広大な領地を与えられました。
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奇跡の伝説!生涯無傷の男

忠勝の人生最大のミステリーにして最高の伝説、それは「生涯で57回の激戦に参加しながら、かすり傷一つ負わなかった」ということです!最前線で槍を振り回し、何度も敵の大軍に突撃しているにもかかわらず、死ぬまで一度も戦傷を負いませんでした。あまりの強さと運の良さに「神仏に守られている」「彼の鎧には矢が避けて通る魔法がかかっている」と本気で噂されたほどです。
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唯一の傷と、英雄の穏やかな最期

戦の無い平和な江戸時代に入ると、忠勝のような猛将の出番は少なくなり、静かな余生を送りました。1610年、63歳になった忠勝が趣味の木彫りをしていた時のこと。うっかり小刀で自分の指に小さな切り傷を作ってしまいます。「俺もついに傷を負ってしまったか。寿命もここまでだな」と笑い、なんとその数日後に本当に病気でこの世を去ってしまいました。生涯唯一の傷が、稀代の猛将の最期を告げたのです。
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