1767年、江戸深川の旗本に仕える武士の家に生まれました。しかし、幼くして父や兄を亡くして家が没落。理不尽な主君に仕えることを嫌い、自ら武士の身分を捨てて放浪の身となりました。
医者や儒学者など様々な職業を転々としますが、24歳の時に当時の大ベストセラー作家・山東京伝の門を叩きます。下駄屋(履物屋)の未亡人と結婚して店を手伝いながら、本格的に戯作(小説)を書き始めました。
それまでの小説家は、武士や商人が「趣味」の延長で書いているのが当たり前でした。しかし馬琴は、執筆の原稿料だけで家族を養い生計を立てた「日本で最初のプロの専業作家」であると言われています!
源為朝の活躍を描いた『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』を発表し、大ヒットを記録します!この作品で挿絵を担当したのが、あの天才絵師・葛飾北斎であり、江戸のエンタメ界を牽引する最強コンビとなりました。
しかし、馬琴も北斎も自身の芸術に対して一切の妥協を許さない超ガンコ者同士でした。「挿絵のキャラクターが設定と違う!」と頻繁に激しく衝突し、最終的には大喧嘩の末にコンビを解消(絶縁)してしまいます。
彼の作品の最大のテーマは「勧善懲悪(善を勧め、悪を懲らしめる)」と「因果応報」でした。腐敗した政治や乱れた世の中に対し、小説の中で正義が勝つ痛快な物語を描くことで、江戸の庶民の心をスカッとさせたのです。
1814年、彼が48歳の時にライフワークとなる『南総里見八犬伝』の執筆を開始します。中国の『水滸伝』などをベースにしながら、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の玉を持つ8人の剣士の数奇な運命を描いた超大作です。
『八犬伝』を書き続けること20年以上、彼の身に最大の悲劇が襲います。過労と加齢により右目の視力を失い、73歳の時にはついに両目を完全に失明。作家にとって命である「光」を失ってしまいました。
未完のまま終わるかと思われましたが、彼の執念は凄まじかった!なんと、文字の読み書きができなかった息子の嫁・お路(おみち)に一から漢字を教え込み、彼女に言葉を語って書き取らせる「口述筆記」で執筆を再開したのです。
失明や愛する息子の死など、度重なる絶望を乗り越え、1842年についに『八犬伝』が完結!執筆開始から実に28年、全98巻106冊に及ぶ日本文学史上最大のエンターテインメント小説を完成させた、執念の生涯でした。