徳川 綱吉 とくがわ つなよし

1646年 - 1709年 江戸時代前期 - 中期
生没年月日: 正保3年1月8日(1646年2月23日) 〜 宝永6年1月10日(1709年2月19日)
出身: 東京都(江戸城本丸) 江戸幕府5代将軍
江戸幕府の第5代将軍。学問をとても大切にし、前半は「名君(立派なリーダー)」として素晴らしい政治(天和の治)を行いました。しかし後半は、跡継ぎ問題の焦りから生類憐れみの令という極端な法律を作り、「犬公方(いぬくぼう)」と呼ばれて人々から大ブーイングを受けることになります。さらに赤穂事件(忠臣蔵)や大地震、富士山の噴火など、ものすごい事件が連続して起こった、江戸時代で最もドラマチックな変化を遂げた将軍です!
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おとなしい読書好きの少年

1646年、第3代将軍・徳川家光の四男として生まれます。お兄ちゃんの家綱が第4代将軍になったため、彼は「自分は将軍にはなれない」と諦め、政治の世界から離れて静かに読書(学問)をして過ごすことになりました。争いごとよりも本を読むのが大好きな、とてもマジメで大人しい大名として一生を終えるはずだったのです。しかし、お兄ちゃんの家綱に男の子供(跡継ぎ)ができなかったことで、彼の運命はとんでもない方向へ動き出します。
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まさか!予期せぬ天下のトップ

1680年、お兄ちゃんの家綱が亡くなり、急きょ綱吉が第5代征夷大将軍に大抜擢されます!周りの大人たちは「本ばかり読んでいる大人しい人だから、自分たちの思い通りに操れるぞ」と甘く考えていました。しかし、いざ将軍の席に座った綱吉は、ものすごい行動力を発揮し始めます。お飾りの将軍になることを拒否し、自ら先頭に立って幕府のルールをどんどん変えていく、強烈なリーダーシップ(親政)をスタートさせたのです。

素晴らしい政治!天和の治

将軍になった綱吉は、すぐに威張っていた古い家臣(酒井忠清など)をクビにして、政治の実権を完全に自分のものにしました。そして、悪いことをしている大名を厳しくチェックして次々と領地を没収します。また、身分が低くても能力がある人をどんどんリーダーに抜擢しました。この「悪い奴は罰し、優秀な人を大切にする」という素晴らしい政治は天和の治(てんなのち)と呼ばれ、人々から「すごい名君が誕生した!」と大絶賛されたのです。
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学問大好き!文治政治のパワーアップ

「これからの時代は力ではなく、学問や思いやりの心で世の中をまとめるのだ!」。学問が大好きな綱吉は、文治政治をさらにパワーアップさせます。学問の神様を祀る「湯島聖堂」を作り、自ら大名たちを集めて「儒学(儒教)」の特別授業をするほどの熱中ぶりでした。武士たちに「礼儀正しく生きること」や「親や主君を大切にすること」を徹底的に教え込み、乱暴な戦国時代の空気を完全に消し去ろうとしたのです。
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側用人と独裁政治のはじまり

自分の理想の政治を実現するため、綱吉は身分が高くて意見を言ってくる古い大名たちを遠ざけました。代わりに、自分の手足となって言うことを聞いてくれる側用人(そばようにん)という役職を作り、彼らを頼りに政治を進めます。特に柳沢吉保(やなぎさわ よしやす)という人物を大出世させ、将軍の命令を絶対のものにする「独裁的な政治スタイル」を完成させました。しかし、注意してくれる人がいなくなったことで、政治の方向は少しずつおかしくなっていきます。
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大ひんしゅく!生類憐れみの令

綱吉には、男の子供(跡継ぎ)がいないという大きな悩みがありました。お母さん(桂昌院)や偉いお坊さんから「前世で命を大切にしなかったから子供ができないのです。生き物を大切にしなさい」と言われ、なんと生類憐れみの令という法律を作ってしまいます。特に犬を異常なほど保護し、虫一匹殺しただけで重い罰が下される極端なルールでした。「犬公方」と呼ばれてバカにされ、民衆は「いつ捕まるか分からない」とビクビクする地獄のような毎日を強いられます。
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忠臣蔵でおなじみ!赤穂事件

1701年、江戸城の中で大事件が起こります(赤穂事件)。浅野内匠頭という大名が、怒って吉良上野介に斬りかかってしまったのです。将軍の城で刃物を出したことに激怒した綱吉は、浅野だけを切腹させるという不公平な処分を下しました。これに怒った大石内蔵助ら「赤穂浪士」が、翌年に吉良の家へ討ち入りをして見事に敵討ちを成功させます(忠臣蔵)。民衆は浪士たちに拍手喝采を送り、綱吉の評判はさらにガタ落ちになってしまいました。
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貨幣の質を落として大混乱

大きなお寺や豪華な犬小屋を作りすぎたせいで、幕府のお金が底をついてしまいます。そこで綱吉は、小判に含まれる「金の量」を減らして、質の悪いお金をたくさん作る作戦に出ました(元禄の改鋳)。幕府は一時的にお金持ちになりましたが、質の悪いお金のせいでモノの値段が爆上がりするインフレ(物価高騰)が起きてしまいます。生き物ルールのうえに生活まで苦しくなり、民衆の怒りはもはや爆発寸前でした。
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富士山の大噴火と天変地異

治世の後半、まるで神様が綱吉の政治に怒っているかのように、とんでもない大災害が連続して日本を襲います。1703年の大地震に続き、1707年にはなんと富士山の宝永大噴火が起こりました!江戸の町には大量の火山灰が降り注ぎ、農作物は大ダメージを受けます。災害からの復興にものすごいお金が必要になり、幕府の財政は完全にパンク状態になってしまいました。素晴らしい政治からスタートしたはずが、今や日本中が大パニック状態です。
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犬公方の死と、悪法の即日終了

1709年、天下を振り回した将軍・綱吉は64歳でこの世を去ります。彼は死ぬ間際になっても「私がいなくなっても、生類憐れみの令だけは絶対に続けなさい!」と遺言を残しました。しかし、次の将軍になる徳川家宣(いえのぶ)は、綱吉が死んだその瞬間に「あんな悪法はすぐに廃止だ!」とキッパリ宣言してルールを消し去りました。日本中の人々は大喜びし、ようやく江戸の町に平和で普通の生活が戻ってきたのです。
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