江戸幕府の第15代将軍。260年続いた江戸幕府に自ら幕を下ろした「最後の将軍」です。天才的な頭脳を持ち、大政奉還で政権を天皇に返すというウルトラCの作戦を実行しました!しかし鳥羽・伏見の戦いで負けると、あっさりと江戸へ逃げ帰り江戸城無血開城を行います。「逃げた卑怯者」と批判されながらも、江戸の町を戦火から救ったのは彼でした。大正時代まで生き抜き、カメラや自転車などの趣味に生きた、ミステリアスで魅力的な最後の将軍です!
1837年、水戸藩(茨城県)の藩主・徳川斉昭の七男として生まれます。幼い頃から勉強もスポーツも超一流で、周りから「あの初代の徳川家康の生まれ変わりだ!」と大絶賛されるほどの天才少年でした。将来の将軍候補として期待され、エリートコースである一橋家を継いで幕府のトップへと近づいていきます。しかし、頭が良すぎるがゆえに、古い考えの大人たちからは「あいつは生意気だ」と警戒されることも。激動の幕末が、この若き天才を放ってはおきませんでした。
病弱だった第13代・家定の後継者をめぐり、幕府は「頭の良い慶喜がいい!」というグループと、「血筋が近い人がいい!」というグループに真っ二つに分かれます。しかし、大老の井伊直弼の力によって慶喜は負けてしまい、将軍の座は逃してしまいました。さらに、負けたグループへの厳しい弾圧(安政の大獄)が始まり、慶喜も自宅に引きこもる罰(謹慎)を受けてしまいます。天才青年は、暗い部屋の中でただ一人、時代が動くのをじっと見つめるしかありませんでした。
歴史の歯車は、ある大事件によって再び動き出します。井伊直弼が桜田門外の変で暗殺されたことで、幕府のパワーは一気に落ちてしまいました。「今こそ慶喜様の力が必要だ!」と、謹慎を解かれた慶喜は「将軍後見職(将軍のサポート役)」として奇跡のカムバックを果たします。若い第14代・家茂を支えながら、過激な志士たちが暴れまわる京都の治安を守るため、松平容保(まつだいら かたもり)たちと一緒に修羅の都へと乗り込んでいくことになります。
1864年、京都から追い出されていた長州藩(山口県)が、天皇のいる御所へ武力で攻め込んでくる禁門の変(蛤御門の変)が起きます。銃弾が飛び交い、町が炎に包まれる中、慶喜は自ら馬に乗って幕府軍の先頭で指揮を執りました!持ち前の天才的な戦術で長州軍をボコボコに撃退し、見事に御所を守り抜きます。このカッコいい活躍で、天皇からの絶大な信頼をゲット。幕府の強さをもう一度天下に見せつけ、慶喜のパワーは最高潮に達しようとしていました。
1866年、将軍の家茂が大坂城で病死してしまいます。もはや沈む寸前のボロボロの幕府を立て直すため、誰もが「慶喜様、将軍になってください!」と土下座して頼みました。何度も断った慶喜ですが、ついに覚悟を決め、第15代征夷大将軍の座に就きます。フランスの力を借りて軍隊を近代化するなど、最後の意地を見せる慶喜。しかしこの時、薩摩藩と長州藩は密かに手を結び(薩長同盟)、幕府を完全にぶっ倒すための最強の包囲網を完成させていたのです。
1867年秋、薩長が「幕府を倒せ!」と攻撃を仕掛けてくる寸前、慶喜は歴史をひっくり返すウルトラCの作戦を発表します。なんと、260年間も徳川家が握っていた政治のパワーを、あっさりと朝廷(天皇)に返す大政奉還(たいせいほうかん)を行ったのです!「これで幕府を倒す理由がなくなっただろう?」という、敵の作戦を根底から潰す天才的なアイデアでした。誰もが慶喜の頭の良さに驚きましたが、薩長は「それでも徳川を潰す!」と攻撃をやめませんでした。
新しい政府から「領地を全部返せ」と言われた旧幕府軍の怒りが爆発し、1868年、ついに鳥羽・伏見の戦いが始まります。幕府軍は人数では圧倒的に勝っていましたが、新政府軍が「天皇の軍隊」の証である錦の御旗(にしきのみはた)を掲げるとパニックに。天皇の敵になることを何よりも恐れた慶喜は、なんと戦っている部下たちを大坂城に置き去りにして、コッソリと船で江戸へ逃げてしまいました!総大将の敵前逃亡という、前代未聞の不名誉な行動でした。
江戸へ逃げ帰った慶喜は、「絶対に戦わない!」と部屋に引きこもって降伏の姿勢を貫きました。そして、彼からすべてを任された勝海舟と、新政府軍の西郷隆盛による歴史的な話し合いが行われ、戦わずに城を明け渡す江戸城無血開城(えどじょうむけつかいじょう)が成立します。慶喜は「逃げた卑怯者」と批判されましたが、彼が抵抗をやめたおかげで、100万人が住む江戸の町は火の海になるのを免れました。こうして徳川の世は、彼の沈黙とともに静かに終わったのです。
将軍を辞めた後、慶喜は静岡県(駿府)へ引っ越し、政治の世界から完全に身を引きました。かつての野心は消え去り、写真撮影、油絵、弓道、さらには当時最先端だった自転車を乗り回すなど、あふれる好奇心のすべてを「趣味」に全振りする毎日を送ります。昔の家臣が訪ねてきても、政治や昔話は一切しなかったそうです。すべてを失った最後の将軍ですが、カメラのファインダー越しに、新しく生まれ変わっていく日本の景色をどんな気持ちで見つめていたのでしょうか。
明治時代になってからも、長い間「敵から逃げた卑怯者」と冷たい目で見られていた慶喜。しかし時代が進むにつれ、「彼が素直に降伏してくれたおかげで、日本が焼け野原にならずに済んだんだ」と、その功績が再評価され始めます。1902年には、明治天皇から一番偉い「公爵(こうしゃく)」の位をもらい、見事に名誉を回復しました!そして1913年(大正2年)、76歳で静かにこの世を去ります。歴代の徳川将軍の中で最も長生きした、本当にミステリアスで魅力的な人物です。