徳川 家重 とくがわ いえしげ

1712年 - 1761年 江戸時代中期
生没年月日: 正徳元年12月21日(1712年1月28日) 〜 宝暦11年6月12日(1761年7月13日)
出身: 東京都港区(江戸・和歌山藩邸) 江戸幕府9代将軍
江戸幕府の第9代将軍。あの有名な徳川吉宗の長男として生まれましたが、生まれつき重い障害があり、言葉をうまく話せなかったため「ダメな将軍」と誤解されてきました。しかし、最近の研究では、彼が人の才能を見抜く天才で、あの田沼意次を大抜擢した「隠れた名君」だったことが分かっています!お父さんが残した享保の改革をしっかりと守り継ぎ、ハンデを背負いながらも国を支え続けた、とても賢くて魅力的な将軍の物語を見ていきましょう。
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吉宗の長男としての誕生

1712年、のちに第8代将軍となる徳川吉宗の長男として和歌山県(紀州藩)で生まれます。待望の長男でしたが、家重は生まれつき身体が弱く、言葉がうまく話せないなどの重いハンデ(脳性麻痺と考えられています)を背負っていました。一生懸命に話しても周りには奇声のように聞こえてしまい、自分の気持ちをうまく伝えられない孤独な毎日。天下の将軍の跡継ぎという最高に恵まれた立場にありながら、誰にも理解されないもどかしさと闘いながら育ちました。
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ハラハラ!次期将軍争い

家重が成長するにつれて、幕府の偉い人たちは「言葉が話せない将軍で大丈夫か?」と心配し始めます。みんなの期待は、家重とは対照的に健康で頭が良かった弟の宗武(むねたけ)に集まりました。ついに江戸城の中で「次の将軍は弟がいい!」という大人たちの激しい権力争い(お家騒動)が始まってしまいます。自分の障害のせいで幕府が真っ二つに割れていくのを目の前で見ながら、何も言い返せない家重の心はどれほど悔しくて悲しかったことでしょう。
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お父さんの愛と第9代将軍へ

この幕府大分裂のピンチを救ったのは、お父さんの徳川吉宗でした!「弟を将軍にしたら、ルールが壊れて世の中が乱れる!」と、吉宗は弟ではなく長男の家重を次の将軍にするとビシッと決断します。反対する偉い家臣たちをクビにしてまで、家重を守り抜いたのです。1745年、周りの不安をはねのけて家重は第9代征夷大将軍の座に就きました。お父さんの深い愛情と「お前ならできる」という期待を背負い、言葉なき将軍の挑戦がスタートします!
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奇跡の通訳・大岡忠光

言葉がうまく話せない将軍がどうやって政治をしたのでしょうか?その奇跡を起こしたのが、側近の大岡忠光(おおおか ただみつ)です。なんと忠光だけは、家重の聞き取りにくい言葉を完璧に理解し、他の家臣たちに正確に伝えることができたのです!まさに忠光は将軍の「声(通訳)」でした。孤独な沈黙の世界に生きていた家重にとって、自分の言葉を唯一理解してくれる忠光は、ただの部下ではなく、心を許せる最高の親友であり、唯一の光だったのです。
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天才を見抜く!田沼意次の抜擢

家重の本当のスゴさは「人を見る目」にありました!彼は、当時まだ身分が低かった田沼意次(たぬま おきつぐ)のズバ抜けた才能にいち早く気づき、自分の秘書として大抜擢したのです。この家重の「実力主義のスカウト」があったからこそ、後の歴史で有名な「田沼時代」がやって来ることになります。口下手だったからこそ、人の表面的な言葉に騙されず、本当に優秀な人間を見抜くことができた家重。決して「ダメな将軍」なんかではなかった証拠ですね!
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恐るべき計算!宝暦治水事件

1753年、家重は力の強い薩摩藩(鹿児島県)に対して「岐阜県にある川の工事(治水工事)を手伝いなさい」と命令を出します(宝暦治水事件)。これはただの工事ではなく、「薩摩藩に莫大なお金を使わせて、幕府に反抗できないように弱らせる」という恐ろしい作戦でした!過酷な工事とお金不足で薩摩藩からは多くの犠牲者が出ましたが、幕府にとっては大成功。言葉を発しない家重の裏には、大名たちを震え上がらせる恐るべき政治の計算が隠されていたのです。
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弱者の味方!郡上一揆の裁判

岐阜県で重い税金に苦しんだ農民たちが大反乱(郡上一揆)を起こします。この事件で、家重は驚くべきフェアな裁判を行いました。農民をいじめた藩主の領地を取り上げただけでなく、農民の訴えを握りつぶそうとした幕府の偉い役人たちまで容赦なくクビや切腹にしたのです!身内に甘くせず、弱い農民の「声なき声」にしっかりと耳を傾けた家重。自分が言葉で苦労したからこそ、弱い立場の人の痛みが分かる、最高にカッコいい名君の姿がここにありました。
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偉大なお父さんへのリスペクト

家重は、自分が新しいルールを作って目立とうとはしませんでした。お父さんの吉宗がやってきた享保の改革のやり方を壊さず、マジメに引き継いだのです。有名な名奉行・大岡忠相(おおおか ただすけ)などの優秀な家臣たちもクビにせず、そのまま大切に使いました。偉大すぎるお父さんと比べられるプレッシャーに負けず、自分のやり方で静かに国を守り抜いた家重。我慢強くて真面目な彼のおかげで、江戸時代の平和はしっかりと次の世代へ受け継がれました。
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将棋の攻略本を書く天才頭脳

仕事の合間に、家重が異常なほど熱中していたものがあります。それは「将棋」です!ただの趣味のレベルではなく、なんと自分で『将棋馬歩建(しょうぎばふだて)』という将棋の攻略本(定跡書)を書いてしまうほどの実力者でした。何手も先を読む天才的な計算力と、ものすごく論理的な頭脳の持ち主だったのです。言葉がうまく話せない代わりに、将棋の盤上で大活躍する駒たちを通して、家重は自分の賢さや考えていることを世の中に表現していたのかもしれませんね。
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親友との別れと静かな最期

1760年、長男に将軍の座をゆずった家重に、最大の悲劇が襲います。将軍の「声」であり、最高の親友だった大岡忠光が病気で亡くなってしまったのです。唯一の通訳を失った家重は、再び絶対的な沈黙の孤独な世界に閉じ込められてしまいます。そして忠光の死から約1年後の1761年、家重も後を追うように50歳で静かにこの世を去りました。「ダメな将軍」という仮面の下に、誰よりも人を見る目と優しさを隠し持っていた家重。強い絆で結ばれた親友と共に、今は静かに眠っています。
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