徳川 家茂 とくがわ いえもち

1846年 - 1866年 江戸時代後期 - 江戸時代末期(幕末)
生没年月日: 弘化3年閏5月24日(1846年7月17日) 〜 慶応2年7月20日(1866年8月29日)
出身: 東京都港区(江戸・和歌山藩邸) 江戸幕府14代将軍
江戸幕府の第14代将軍。黒船が来て日本中が大パニックになっている「幕末」のど真ん中に、わずか13歳でトップに立たされた悲運の青年です。朝廷(天皇)と幕府が仲良くする「公武合体」のために、天皇の妹である和宮(かずのみや)と政略結婚をさせられますが、二人は深く愛し合う本当の夫婦になりました。勝海舟などの優秀な部下に慕われ、ボロボロの幕府を一生懸命に立て直そうと頑張りましたが、第二次長州征伐の途中で病気に倒れ、21歳という若さで亡くなってしまう心優しい将軍です。
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13歳で天下の玉座へ

1846年、和歌山県(紀州藩)で生まれます。本来なら将軍になる予定はありませんでしたが、第13代将軍の家定が跡継ぎを残さずに亡くなったため、大老の井伊直弼(いい なおすけ)の強い後押しで、わずか13歳で第14代征夷大将軍に選ばれました!大人たちのドロドロの権力争いの結果、まだ中学生くらいの無邪気な少年が、崩壊寸前の江戸幕府のトップという重すぎる責任を背負わされることになったのです。
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桜田門外の変と孤独なスタート

1858年、正式に将軍になった直後、幕府を根底から揺るがす大事件が起きます。家茂を将軍にしてくれた最大の後ろ盾である井伊直弼が、雪の降る日に江戸城の門の前で暗殺されてしまったのです!(桜田門外の変)。幕府のトップが殺されたことで「もう幕府は怖くないぞ!」と世の中に知れ渡ってしまいました。頼れる大人を失い、血塗られた江戸城で一人ぼっちになった13歳の将軍。ここから彼の過酷な試練が始まります。
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テストに出る!公武合体と和宮

落ちてしまった幕府のパワーを取り戻すため、家臣たちはある作戦を考えます。それは「天皇(朝廷)と幕府が一つになって協力しよう!」という公武合体(こうぶがったい)という政策です。そのシンボルとして、孝明天皇の妹である和宮(かずのみや)を、家茂のお嫁さんとして江戸に迎えるという前代未聞の政略結婚が強引に進められました。幕府を強くするための道具として引き裂かれ、無理やり結婚させられる二人の運命はどうなるのでしょうか?
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政略結婚から生まれた奇跡の純愛

天皇の妹である和宮は、田舎である江戸へ嫁ぐことをとても悲しんでいました。しかし、初めて対面した家茂は、和宮の想像をはるかに超えるほど優しくて誠実なイケメン青年だったのです!家茂は和宮を心から大切にし、武士の厳しいルールを押し付けることなく彼女の心を優しく溶かしていきました。冷たい政略結婚で出会った二人は、いつしかお互いを深く思いやる本物の夫婦へと変わっていったのです。血みどろの幕末に咲いた、とても美しい純愛ストーリーです。
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229年ぶりの京都へ!将軍上洛

1863年、天皇からの強い命令を受け、家茂はついに京都へ出発します。将軍が京都へ行くのは、なんと第3代・家光の時代から229年ぶりの歴史的な大事件でした!しかし、これは幕府の強さをアピールするものではありません。天皇の前にひざまずき、「必ず外国船を追い払います!(攘夷)」という、絶対にできない無理な約束をさせられるための屈辱的な旅行だったのです。もはや日本のトップは幕府ではなく、天皇(朝廷)へと完全に移り変わっていました。
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勝海舟との出会いとリスペクト

京都と江戸を行ったり来たりして心身をすり減らす家茂の前に、型破りな家臣が現れます。軍艦を作っていた勝海舟(かつ かいしゅう)です。海舟が操縦する船に乗った家茂は、彼が持つ世界基準の知識に深く感動し、「日本の海軍はすべて君に任せる!」と大抜擢しました。海舟もまた、身分に関係なく自分を信じてくれる家茂の器の大きさに心底惚れ込みます。「この将軍様のために頑張ろう!」。二人の間には、身分を超えた強い絆が生まれました。
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第一次長州征伐での勝利

1864年、京都で御所(天皇の家)を攻撃した長州藩(山口県)が「朝廷の敵」となります(禁門の変)。怒った天皇の命令を受けた家茂は、ついに全国の大名に「長州を攻撃せよ!」と命令を出しました(第一次長州征伐)。ものすごい大軍で長州藩を囲み、戦わずして降伏させることに成功します。久しぶりに幕府の強さを天下に見せつけた勝利でした!しかし、裏では薩摩藩と長州藩がコッソリと手を組み(薩長同盟)、幕府を倒す恐ろしい計画を進めていたのです。
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第二次長州征伐と哀しい約束

降伏したはずの長州藩が再び反乱を起こします。家茂は「もう許さない!」と、自分自身が大将として大坂城へ出陣する第二次長州征伐を決断しました。江戸を出発する時、大好きな奥さんの和宮に「無事に帰ったら、京都の綺麗な着物(西陣織)をお土産に買ってくるからね」と優しく約束して送り出されます。しかし、イギリスの最新武器でパワーアップした長州軍の前に、幕府軍はボロ負けの連続。大将である家茂の心と体は、限界を迎えようとしていました。
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大坂城に散った21歳の命

戦争に負け続ける極限のプレッシャーが、もともと弱かった家茂の体を容赦なく破壊していきます。持病の脚気(かっけ=ビタミン不足の病気)が悪化し、1866年の夏、大坂城の奥深くで静かに息を引き取ってしまいました。わずか21歳という、あまりにも若くて悲しい最期です。心優しい将軍の死によって幕府軍の士気は完全に崩壊し、長州征伐の敗北が決定しました。彼が和宮に約束した綺麗な着物は、遺品としてただ一つ、江戸で待つ彼女の元へ届けられたのです。
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甘党の将軍と虫歯のSOS

現代になって家茂のお墓が調査された時、驚くべき事実が分かりました。彼の歯は31本中、なんと30本が重度の虫歯だったのです!家茂は無類の甘党で、羊羹(ようかん)や金平糖(こんぺいとう)が大好きでした。もしかすると、日本中がパニックになる幕末の将軍という逃げられない重圧(ストレス)を、甘いお菓子を食べることで必死に紛らわそうとしていたのかもしれません。虫歯の痛みに耐えながら、沈みゆく日本を一生懸命に背負い続けた、切なくて優しい青年の生涯でした。
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