江戸幕府の第4代将軍。お父さんの徳川家光が早くに亡くなり、なんとわずか11歳という若さで将軍になりました!彼の時代の最大のポイントは、それまでの「武力でねじ伏せる政治」から、「学問やルールで平和に治める政治(文治政治)」へと歴史的な大チェンジを行ったことです。「左様せい(その通りにしなさい)」と有能な部下たちを信頼して政治を任せた、とても穏やかで優しいリーダー。平和な江戸時代の土台を完成させた素晴らしい将軍です!
1641年、第3代将軍・徳川家光の長男として江戸城で生まれます。しかし1651年、お父さんの家光が48歳の若さで急死。これによって、まだ小学校5年生くらい(11歳)だった家綱が、歴代最年少で第4代征夷大将軍になってしまいました。「あんな小さな子供に、天下がまとめられるのか?」と、周りの大人たちはみんな心配していました。悲しむヒマもなく、幼い少年は巨大な幕府のトップとしての重い責任を背負うことになります。
将軍になった直後、幕府のスキを突いてとんでもない大事件が起こります!由井正雪(ゆい しょうせつ)という人物が中心となって、幕府を倒そうと計画した慶安の変(けいあんのへん)です。これまで幕府が厳しすぎるルールで大名をクビにしてきたため、仕事にあぶれた武士(牢人)たちの怒りが爆発寸前だったのです。事件はギリギリで防げましたが、「このまま武力で厳しい政治を続けていたら、いつか本当に反乱が起きる!」と幕府は猛反省しました。
慶安の変という大事件を教訓に、家綱は政治のやり方を180度ガラリと変えました!おじいちゃんやお父さんの時代のように「力や恐怖」でねじ伏せる武断政治をやめて、儒学などの「学問や法律、道徳」によって世の中を平和に治める文治政治(ぶんちせいじ)へと歴史的な大転換をしたのです。戦国時代の殺伐とした雰囲気を完全に消し去り、人々がルールを守って安心して暮らせる世の中づくりが、ここから本格的にスタートします!
失業した武士(牢人)が増えた一番の原因は、「跡継ぎがいないまま死にそうな大名が、急いで養子をもらってはいけない(末期養子の禁)」という厳しい法律でした。これを少しでも破るとお家は取り潰しになります。家綱は「それは厳しすぎる!」と考え、50歳未満の大名には急な養子をもらうことを許してあげました。この優しい法律チェンジのおかげで、大名がクビになることは激減し、失業した武士たちの不満もスッと消えていきました。
平和への改革はまだまだ続きます!昔の武士たちの間では、殿様が亡くなると「私も殿様の後を追います!」と一緒に切腹して死んでしまう殉死(じゅんし)という風習がありました。家綱のお父さんが死んだ時も、多くの部下が命を絶ちました。家綱はこれを「無駄に命を捨てる野蛮なルールだ!」とハッキリと法律で禁止します。死ぬことではなく、生きて御家のために働くことこそが本当の忠義なんだよ、と新しい時代の価値観を根付かせたのです。
1657年、江戸の町とお城の大半を焼き尽くす、とんでもない大火事(明暦の大火)が起きてしまいます。10万人以上が犠牲になったとされる大ピンチの中、家綱をサポートするおじさんの保科正之(ほしな まさゆき)たちが大活躍!「将軍のシンボルである天守閣の再建は後回しだ!まずは苦しんでいる人たちを助けろ!」と、民衆の救済を最優先にしました。火事に強い広い道路や新しい橋を作り、見事なリーダーシップで江戸を大復興させたのです。
見事に江戸を復興させた家綱は、大名たちへの信頼をさらに深めていきます。昔は謀反(反乱)を防ぐために、大名の家族だけでなく、大切な部下の家族までも「人質」として江戸に住まわせていました(大名証人制度)。家綱はこの冷たいルールを思い切って廃止しました!「もう徳川に逆らう大名なんていないから大丈夫だよ」という自信の表れでもあります。大名たちもプレッシャーから解放され、戦国時代からの「疑いの心」がようやく終わりました。
ルールを優しくしたからといって、サボっていたわけではありません。家綱は定期的に「諸国巡見使(しょこくじゅんけんし)」という監査チームを全国に派遣しました。大名たちが領民をいじめていないか、幕府のルールがちゃんと守られているかを厳しくチェックさせたのです。力で脅すのではなく、情報ネットワークと法律を使って全国を監視する。これこそが文治政治の本当のスゴイところであり、江戸幕府のシステムが完成に近づいた証拠です。
家綱には、保科正之や酒井忠清など、とても優秀な部下たちがたくさんいました。彼は部下たちが一生懸命考えてきた作戦に対して、「左様せい(その通りにしなさい)」と穏やかにOKを出すスタイルでした。後世の人からは「自分で考えない将軍」とからかわれることもありますが、専門家に仕事を任せてトップは承認するだけという、現代の会社のようなとても進んだ組織運営をしていたとも言えます。チームプレイで国を動かす成熟した幕府の姿です!
素晴らしい平和な時代を築いた家綱ですが、晩年は病気がちになってしまいます。そして、彼には男の子供(跡継ぎ)がいませんでした。「次の将軍を誰にするか」で幕府は大パニックになりかけますが、家綱は1680年に亡くなる直前、弟の綱吉(つなよし)を次の将軍にすることをビシッと決めます。天下の混乱をギリギリで防ぎ、40歳の若さで静かにこの世を去りました。激動の時代を終わらせ、本当の平和へと橋を架けた「穏やかなる名君」の生涯でした。