徳川 家継 とくがわ いえつぐ

1709年 - 1716年 江戸時代中期
生没年月日: 宝永6年7月3日(1709年8月8日) 〜 正徳6年4月30日(1716年6月19日)
出身: 東京都千代田区(江戸城西ノ丸) 江戸幕府7代将軍
江戸幕府の第7代将軍。お父さんの家宣が急死したため、なんと歴代最年少のわずか満3歳(数え年4歳)で天下のトップになりました!彼に代わって新井白石たちが立派な政治(正徳の治)を続けますが、大奥ではドロドロの権力争い(絵島生島事件)が起きてしまいます。一生懸命病気と闘いましたが、わずか6歳で亡くなり、初代の家康から続いていた徳川家の直系(男系)の血筋がここで完全に途絶えてしまった、とても悲しくて切ない将軍です。
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史上最年少の幼き将軍

1709年、第6代将軍・徳川家宣の四男として江戸城で生まれます。しかし、家継がまだ3歳の時に、お父さんの家宣が病気で急死してしまうという悲しい出来事が起きました。これにより、言葉もまだおぼつかないわずか満3歳(数え年4歳)の幼児が、第7代征夷大将軍になるという、江戸幕府の歴史上で最年少の将軍が誕生しました!「こんな小さな子供が日本のトップで大丈夫なのか?」と、周りの大人たちはハラハラしながらこの幼い将軍を見守ることになったのです。
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白石と詮房の全力サポート

もちろん3歳の子供に政治はできません。亡きお父さんから「息子を頼む」とお願いされていた学者の新井白石(あらいはくせき)と、側用人の間部詮房(まなべ あきふさ)が、幼い将軍を全力でサポートしました。彼らはお父さんの時代から続く正徳の治(しょうとくのち)という、学問や思いやりで国を治める素晴らしい政治をキッチリと受け継ぎます。間部詮房は本当のお父さんのように家継の面倒を身の回りから手厚く見てあげました。
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正徳金銀とお金の大手術

新井白石が真っ先に取り組んだのは、大きな問題だった「経済の立て直し」でした。前の時代に作られた質の悪いお金のせいで、モノの値段が上がりすぎて庶民はとても困っていました。そこで白石は、初代の家康の時代と同じくらい質の良い立派な金貨や銀貨(正徳金銀)を新しく作り直しました!市場の混乱をピタッと止めて、幕府の信用を取り戻そうとする作戦です。ただ、あまりにも急激にお金のルールを変えたため、幕府の中で少しずつ反発の声も出始めてしまいます。
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テストに出る!海舶互市新例

国内の経済を直すだけでなく、白石は海外との貿易にも鋭いメスを入れます。長崎でのオランダや中国(清)との貿易で、日本の大切な金や銀が海外にどんどん流出している大ピンチに気づいたのです。そこで1715年、取引する量や船の数を厳しく制限する海舶互市新例(かいはくごししんれい/長崎新令)という新ルールを発表しました!日本の財産である金銀がなくなるのを防ぐ、テストによく出る超重要な貿易ルールなので絶対に覚えておきましょう。
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朝鮮通信使と日本国王

1711年、家継が将軍になったお祝いとして、朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)が日本にやってきました。ここでも白石は大胆な改革を行います。これまで莫大なお金がかかっていた豪華な接待をシンプルにして節約しました。さらに、日本と朝鮮が対等な関係であることをアピールするため、将軍の呼び方を「日本大君」から「日本国王」に変更したのです!幼い将軍の名前で、東アジアの外交ルールを堂々と変えた白石のプライドをかけた大勝負でした。
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大奥の女たちのドロドロバトル

表の政治では白石たちが大活躍していましたが、江戸城の奥深くにある女性たちの世界「大奥(おおおく)」では、ドロドロの権力争いが起きていました。家継の実のお母さん(月光院)のグループと、前将軍・家宣の正式な奥さん(天英院)のグループが、「どちらが幼い将軍をコントロールするか」で激しく火花を散らしていたのです!数千人の女性たちが2つの派閥に分かれてにらみ合う、とてもピリピリした恐ろしい空気が江戸城の奥に漂っていました。
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大スキャンダル!絵島生島事件

1714年、ついに大奥を揺るがすとんでもない大スキャンダルが爆発します(絵島生島事件)。家継のお母さんグループのトップである「絵島(えじま)」という女性が、イケメン歌舞伎役者の生島新五郎と秘密のデートをしていたことがバレてしまったのです!風紀の乱れとして厳しく追求され、関係者数百人が一気に処罰(クビや島流し)されました。これは単なるスキャンダルではなく、お母さんグループのパワーを潰すための恐ろしい政治の罠だったと言われています。
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史上初!将軍と皇女の婚約

大奥の大事件で幕府のイメージが下がってしまったため、起死回生のウルトラC作戦が実行されます。なんと、天皇家の血を引く皇女(八十宮吉子内親王)と、わずか6歳の家継の婚約が発表されたのです!武士のトップである将軍と、天皇家の娘が結婚するのは日本の歴史上で初めての快挙でした。これにより「徳川家と朝廷はガッチリ結びついているぞ!」と天下にアピールしたのです。大人の政治の駆け引きに、幼い二人が巻き込まれた瞬間でもありました。
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病魔と闘う小さな将軍

表では派手な政治やドロドロの権力争いが続いていましたが、肝心の将軍である家継は生まれつき体がとても弱く、いつもベッドで寝込んでいる状態でした。政治の仕事どころではなく、風邪をひいては高熱を出して苦しむ毎日です。そんな時、側用人の間部詮房はつきっきりで看病をし、病気で泣く家継のために絵本を読み聞かせて励ましたと伝わっています。ドロドロした江戸城の中で、彼だけが家継にとっての本当の家族であり、安心できる存在だったのかもしれません。
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直系血筋の終わりと新たな時代

まわりの人たちの必死の看病もむなしく、1716年の初夏、家継は満6歳(数え年8歳)という短すぎる生涯を終えてしまいます。この小さな将軍の死は、日本の歴史を揺るがす大事件でした。なぜなら、神様である徳川家康から代々受け継がれてきた「徳川将軍家の直系の血筋」が、ここで完全に途絶えてしまったからです!跡継ぎがいなくなった幕府は大パニックになり、次の第8代将軍にあの有名な徳川吉宗が選ばれるという新しい時代へと突入していきます。
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