徳川 家治 とくがわ いえはる

1737年 - 1786年 江戸時代中期 - 後期
生没年月日: 元文2年5月22日(1737年6月20日 〜 天明6年8月25日(1786年9月17日)
出身: 東京都千代田区(江戸城西ノ丸) 江戸幕府10代将軍
江戸幕府の第10代将軍。おじいちゃんの徳川吉宗から「天才だ!」と可愛がられて育ちました。将軍になると、お父さんの遺言に従って政治を田沼意次(たぬま おきつぐ)にすべてお任せします。意次が商人のパワーを利用して国を豊かにした時代は「田沼時代」と呼ばれました。しかし後半は、火山の噴火や天明の大飢饉といった大災害が連続して起こり、愛する息子も急死してしまうという、光と影が激しく入り交じった波乱万丈な将軍です。
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おじいちゃん吉宗のスーパー英才教育

1737年、第9代将軍・家重の長男として生まれます。言葉の障害で苦労したお父さんとは対照的に、家治は子供の頃からとても頭の回転が速い天才肌でした。その才能に大喜びしたのが、おじいちゃんの徳川吉宗です!吉宗は家治を自分のそばに置き、「お前は将来の名君だ!」と将軍になるための特別授業(帝王学)を直接教え込みました。偉大なおじいちゃんの愛情と期待を一身に浴びて、若きプリンスは立派に成長していきます。
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第10代将軍へ!お父さんの遺言

1760年、お父さんの隠居によって24歳で第10代征夷大将軍になります。「あの頭の良い家治様がついに将軍だ!」とみんな大いに期待しました。しかし家治は、自分で政治をグイグイ引っ張ることはしませんでした。なぜなら、お父さんの家重から「田沼意次(たぬま おきつぐ)を大切にして政治を任せなさい」という遺言を託されていたからです。この言葉をマジメに守り抜いたことで、日本の歴史を揺るがす大きな変化が始まります。
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田沼意次の大出世とチームプレイ

家治から絶大な信頼を寄せられた田沼意次は、身分の低い役人から幕府のトップ(老中)へとものすごい大出世を果たします!家治は意次に政治の仕事をすべて任せ、自分は大好きな将棋や鷹狩りなどの趣味を楽しむようになりました。周りからは「将軍は政治に飽きたのか?」とウワサされましたが、実は「難しい政治は専門のプロに任せて、トップは責任だけを取る」という、現代の社長のようなとても進んだチームプレイのスタイルだったのです。
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テストに出る!株仲間とワイロ

政治を任された意次は、これまでのお米中心の経済から「商人のパワー(お金)を利用する経済」へとルールを大転換させます!商人たちに株仲間(かぶなかま)という公式グループを作ることを許し、独占して商売をしていい代わりに、幕府へ税金(営業代)を納めさせたのです。江戸の町はかつてないほどの好景気になり、幕府もお金持ちになりました!しかし、商人が有利になるために賄賂(ワイロ)が飛び交う金権政治の時代にもなってしまいました。
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幕府が直接ビジネス!専売制

意次のお金儲け作戦はさらにエスカレートします。銅や真鍮(しんちゅう)、そして朝鮮人参などの高く売れる人気商品を、幕府だけが独占して販売できる「専売制(せんばいせい)」というルールを作りました。幕府が自ら巨大な会社のようにビジネスを行い、市場の利益をズドーンと吸い上げたのです!これらの作戦で国庫(幕府の貯金)はパンパンに潤い、お金がものを言う華やかでバブリーな田沼時代の文化が花開いていくことになります。
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幻に終わった印旛沼の大干拓

田沼意次は、新しい田んぼを作って水害を防ぐために、千葉県の印旛沼(いんばぬま)や手賀沼の水を抜く巨大な工事(干拓)をスタートさせました。大商人の莫大なお金をつぎ込み、何万人もの労働者を集めた国家の一大プロジェクトです!見渡す限りの湿地を豊かな土地に変える壮大な夢でしたが、完成直前に大洪水が起きてしまい、すべてが泥水に飲み込まれて大失敗に終わりました。この自然の猛威が、田沼時代の勢いが止まる最初のキッカケとなります。
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ロシアに負けるな!蝦夷地の探検

国内だけでなく、幕府の目は北の果て「蝦夷地(えぞち=現在の北海道)」にも向けられました。南に下ってくるロシア帝国の脅威にいち早く気づいた意次は、最上徳内(もがみ とくない)などの探検家を派遣したのです!これは単なる調査ではなく、ロシアと貿易をして巨万の富を得るという、鎖国のルールをひっくり返すような超スケールの大きな野望でした。しかし、この画期的なビッグプロジェクトも、時代の大ピンチによって中止に追い込まれてしまいます。
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地獄絵図…天明の大飢饉と噴火

1780年代、バブルに沸いていた日本をとんでもない大災害が襲います。冷害でお米が全く育たなくなったうえに、浅間山(あさまやま)の大噴火が起こり、空が火山灰で真っ暗になりました。歴史のテストで絶対に出る天明の大飢饉(てんめいのだいききん)です。全国で何十万人もの人が餓死する地獄のような状況になり、絶望した民衆の怒りが爆発!各地で「打ちこわし(暴動)」が起き、勢いに乗っていた田沼の政治は足元からガラガラと崩れ落ちていきました。
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悲劇!優秀な跡継ぎの突然の死

国がボロボロになっていく中、家治の心にトドメを刺す決定的な悲劇が起こります。1779年、頭が良くて民衆からの人気も絶大だった長男の徳川家基(いえもと)が、鷹狩りの帰りに突然体調を崩し、なんと18歳の若さで急死してしまったのです。「田沼の敵に暗殺されたのでは?」という黒いウワサまで流れました。おじいちゃんの吉宗から続く直系の血筋が途絶える危機となり、最愛の息子を失った家治は、深い悲しみと絶望の中で政治への熱意を完全に失ってしまいます。
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家治の死と、田沼時代のあっけない幕切れ

1786年、心身ともにボロボロになった家治は、50歳でこの世を去りました。天才少年と呼ばれた彼が、あえて部下にすべてを任せた政治スタイルは、今でも歴史家の中で賛否両論があります。家治が亡くなったその瞬間、彼という最強の後ろ盾を失った田沼意次はすぐにクビになり、権力から完全に追放されました。お金と野望が渦巻いたバブリーな時代は終わりを告げ、ここから松平定信による厳しすぎる「寛政の改革」へと時代は急カーブを切っていくのです。
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