1773年、将軍の親戚である一橋家(御三卿)の長男として生まれます。本来なら将軍になる予定はありませんでしたが、第10代将軍・家治の息子が急死したため、運命の女神が微笑みました。なんと15歳という若さで第11代征夷大将軍に大抜擢されたのです!しかし、彼がバトンを受け取った時の日本は、飢饉(ききん)やワイロ政治のせいでボロボロの状態でした。若き将軍は、この大ピンチの江戸幕府をどうやって立て直すのか、いきなり超ハードなミッションからのスタートとなります。
ボロボロの幕府を立て直すため、家斉は白河藩主の松平定信(まつだいら さだのぶ)を政治のトップに大抜擢します。定信は、田沼意次のゆるいワイロ政治を完全にストップさせ、「ゼイタクは敵だ!マジメに生きろ!」という超厳しいルールの寛政の改革(かんせいのかいかく)をスタートさせました。このマジメすぎる政治のおかげで幕府の立て直しは進みましたが、あまりにも窮屈なルールに、江戸の庶民も将軍の家斉も「息が詰まる…」とウンザリし始めてしまいます。
将軍・家斉と定信の関係を完全に壊したのが「尊号一件(そんごういっけん)」という事件です。家斉は、自分を産んでくれた本当のお父さんに「大御所(将軍の父)」という立派な名前をプレゼントしようとしました。しかし、マジメすぎる定信は「幕府のルール違反です!」とこれを冷たく拒否します。自分の願いを頭ごなしに否定された家斉のプライドはズタズタになり、「定信め、許さない!」と激しい怒りの炎を燃やし始めました。二人の間に決定的なヒビが入ってしまったのです。
1793年、将軍としてのパワーに目覚めた家斉は、ついに動きます。口うるさい定信を突然クビにしてしまったのです!世間の人々は「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき(水が綺麗すぎると魚は住めない。少し汚れていた田沼の時代が恋しい)」と歌をうたって、厳しい改革の終わりを大喜びしました。うるさいお目付役がいなくなった家斉は、ここから自分の好きなように、やりたい放題の政治をスタートさせます。幕府の空気は、マジメから「ゆるゆる」へと大きく変わっていきました。
定信を追い出した後、家斉は自分をチヤホヤしてくれるお気に入りの家臣ばかりを偉い役職につけました。すると、幕府には再びワイロが飛び交うようになります。政治の能力よりも「将軍にいかにゴマをするか」が重要になり、お金さえ払えば何でも叶う腐敗した時代に逆戻りしてしまいました。政治がだんだんダメになっていく中、家斉は華やかな江戸城の奥深くで、お酒や女性、そして絶対的な権力という甘い蜜に心地よく溺れていってしまいます。
政治の世界が腐敗していく一方で、厳しいルールから解放された江戸の町には、空前絶後の素晴らしい文化が花開きました!葛飾北斎や歌川広重のカラフルな浮世絵、十返舎一九の面白い小説、そして大熱狂の歌舞伎など、町人たちが中心となって楽しむ化政文化(かせいぶんか)が黄金期を迎えたのです。武士のパワーが落ちていくのとは反対に、庶民たちは「今が一番楽しい!」と我が世の春を謳歌しました。将軍のゆるい政治が、日本史上最も華やかな大衆文化を生み出したのは不思議な歴史の面白さです。
日本国内が平和ボケしている頃、海の向こうからは黒い影が迫っていました。ロシアやイギリスなどの外国船が、日本近海をウロウロし始めたのです!パニックになった幕府は1825年、「見知らぬ外国船が来たら、問答無用で大砲を撃って追い返せ!」というとんでもない法律、異国船打払令(いこくせんうちはらいれい)を出します。世界が近代化へと猛スピードで進んでいるのに、あえて耳を塞いで閉じこもる幕府。この時代遅れの作戦が、のちに日本を大ピンチに陥れることになります。
1837年、将軍の座に50年も居座った家斉は、息子の家慶に将軍をゆずります。しかし、完全に引退したわけではありませんでした。自分は「大御所(引退したトップ)」と名乗り、将軍以上のものすごいパワーで裏から政治をコントロールし続けたのです。この時期を「大御所時代」と呼びます。老いてもなお衰えない権力欲でやりたい放題を続けたため、幕府の財政や政治の腐敗はもう取り返しがつかないところまで来ていました。その足元では、恐ろしい反乱の火種がくすぶり始めていたのです。
日本中を猛烈な大飢饉(天保の大飢饉)が襲い、餓死者が続出しているのに、幕府はまともな対策をしませんでした。この地獄のような惨状を見かねて、ついに立ち上がったのが大坂の元・警察官(与力)である大塩平八郎(おおしお へいはちろう)です!1837年、彼は苦しむ人々を救うため、幕府に対して武力反乱(大塩平八郎の乱)を起こしました。幕府の元・役人が牙を剥いたというニュースは、日本中にものすごい衝撃を与えます。反乱はすぐに鎮圧されましたが、幕府の権威は完全に地に落ちてしまいました。
1841年、家斉は69歳でこの世を去ります。彼が歴史に残した一番の記録は、なんと生涯で「53人」もの子供を作ったことです!家斉はこのたくさんの子供たちを、全国の有力な大名へ養子やお嫁さんとして送り込み、「徳川家の血のネットワーク」を作って大名たちをコントロールしました。まさに規格外の怪物将軍!しかし、彼が死んだ後の日本には、借金だらけの幕府と迫り来る外国の脅威という、とてつもなく重い問題だけが残されていました。いよいよ激動の幕末が始まります。