徳川 家慶 とくがわ いえよし

1793年 - 1853年 江戸時代後期 - 末期(幕末)
生没年月日: 寛政5年5月14日(1793年6月22日) 〜 嘉永6年6月22日(1853年7月27日)
出身: 東京都千代田区(江戸城) 江戸幕府12代将軍
江戸幕府の第12代将軍。お父さんの家斉が長すぎたため、45歳という遅咲きでトップになりました。ボロボロになった幕府を立て直すために水野忠邦(みずの ただくに)を大抜擢し、天保の改革という大手術に挑みます。しかし、厳しすぎるルールがみんなの反感を買ってしまい、改革はあっけなく大失敗。さらに晩年にはアメリカからペリーの黒船がやってくるという超絶ピンチの中、プレッシャーに耐えきれずに亡くなってしまう、激動の「幕末」のスタート地点に立たされた悲運の将軍です。
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遅すぎた45歳での将軍デビュー

1793年、第11代将軍・家斉の次男として生まれます。しかし、お父さんが歴代最長の50年間も将軍の座に居座り続けたため、彼が第12代征夷大将軍になったのは、なんと45歳という異例の遅さでした!しかも将軍になってもお父さんが「大御所」として実権を握り続けたため、彼はずっと「お飾りの将軍」として我慢の毎日を送ります。ワイロが飛び交い腐敗していく幕府を見つめながら、「自分がトップになったら絶対に立て直してやる!」と静かに怒りを燃やしていました。
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お父さんの死と、大掃除の始まり

1841年、ついに絶対的だったお父さん(家斉)がこの世を去ります。これまで我慢に我慢を重ねてきた家慶は、ここで一気に爆発!お父さんの威光をバックにワイロ政治で偉そうにしていた悪い家臣たちを、容赦なくクビにして一網打尽にしました。50歳を目前にして、ようやく本当のトップの権力を手に入れたのです。腐りきった幕府の病気を取り除く彼の決断力に、みんなが「新しい名君の誕生だ!」と期待に胸を膨らませました。
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水野忠邦の抜擢と厳しい改革

「幕府の威信を取り戻すぞ!」。家慶は、やる気に満ち溢れた水野忠邦(みずの ただくに)を政治のトップに大抜擢します。これが、歴史のテストで絶対に出る天保の改革(てんぽうのかいかく)のスタートです!忠邦は、前時代のゆるゆるだった空気を引き締めるため、「ゼイタクは禁止!お祭りも禁止!派手な着物も禁止!」という超厳格なルールを次々と打ち出しました。堕落した世の中を無理やりマジメにしようとする強引な作戦が始まります。
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やりすぎ経済政策とみんなの怒り

忠邦の改革は経済にも冷酷なメスを入れます。「モノの値段が高いのは、商人たちがグループを作って独占しているからだ!」と考え、それまで公認していた株仲間(かぶなかま)を解散させてしまいました。しかし、この無理やりなルールのせいで経済の仕組みが壊れ、かえって大不景気になってしまいます。厳しすぎる倹約令(節約ルール)と大不景気のダブルパンチに、江戸の町人や商人たちの不満と怒りはついに大爆発寸前まで膨れ上がりました!
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テストに出る!上知令の大失敗

焦った忠邦は、とんでもないルールを発表しようとします。江戸や大坂の周辺にある豊かな土地を、無理やり幕府のもの(直轄地)として取り上げる上知令(あげちれい)です。これには「ふざけるな!」と、農民だけでなく幕府の味方である大名や旗本たちからも猛反対がおき、忠邦は誰からも相手にされなくなってしまいました。1843年、ついに家慶は「もう限界だ」と忠邦をクビにします。天下を救うはずだった天保の改革は、みんなの怒りを買ってあっけなく大失敗に終わりました。
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幕府のパワーダウンと強い藩の誕生

改革の大失敗によって「もはや江戸幕府に日本をまとめる力はないぞ…」という致命的な事実が全国にバレてしまい、幕府の権威はボロボロになってしまいます。幕府がパニックになっている間に、自分たちだけで経済を立て直し、海外の最新兵器を取り入れてパワーアップする薩摩藩(鹿児島県)や長州藩(山口県)などの「雄藩(ゆうはん)」が目立ち始めました。家慶が幕府を強くしようと頑張れば頑張るほど、時代は幕末の動乱へと向かって猛スピードで進んでいくという皮肉な結果になったのです。
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オランダ国王からの警告

国内がゴタゴタしている中、海の向こうからはもっとヤバい脅威が迫っていました。1844年、鎖国中も仲良くしていたオランダの国王から「お隣の中国(清)がイギリスとの戦争(アヘン戦争)でボロ負けしました。世界は変わっています、すぐに国を開きなさい!」というとんでもない警告の手紙が届いたのです。しかし、家慶と幕府の偉い人たちはこの忠告を無視し、「絶対に鎖国を続ける!」という間違った判断をしてしまいます。
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ペリー来航!日本中が大パニック

1853年、ついに運命の日がやってきます。アメリカのペリー提督が率いる、煙をモクモクと吐き出す巨大な蒸気船(黒船)が浦賀(神奈川県)にやってきたのです!大砲を突きつけながら「国を開け!」と迫る異国の艦隊に、平和ボケしていた日本中が大パニックに陥ります。250年続いた鎖国が終わるかもしれないという、国がひっくり返るような大ピンチ。「どうする家慶!?」と、日本中の大名たちが将軍の決断を固唾を呑んで見守りました。
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プレッシャーの中での無念の死

しかし、歴史はあまりにも残酷でした。「黒船にどう対応すればいいんだ!?」という凄まじいプレッシャーと過労のせいで、ペリーが来てからわずか数週間後、家慶は突然病気で倒れてしまいます。国を開くか、戦争をするかという超重要な決断を出すこともできないまま、大混乱の中で61歳の生涯を終えてしまいました。日本がこれからどうなるかという一番大変な問題は、病弱な次の将軍へ丸投げされることになってしまったのです。
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孤独な将軍の悩みと幕末のスタート

家慶はもともと、絵を描いたり芸術を楽しむのが好きな、とても繊細で優しい人だったと言われています。しかしプライベートは悲惨で、たくさん生まれた子供たちのほとんどが若くして亡くなり、唯一生き残った第13代将軍となる家定(いえさだ)も重い病気を抱えていました。「この病弱な息子に、崩壊寸前の幕府と黒船のピンチを任せられるのか…」。深い絶望の中で亡くなった彼の死をキッカケに、日本は血みどろの「幕末」へと猛スピードで転がり落ちていくことになります。
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