1662年、第3代将軍・家光の孫として生まれます。しかし、お父さんは将軍ではなかったため、家宣も将軍になる予定はなく、甲府(山梨県)の藩主として静かに暮らしていました。「自分は幕府のトップにはなれない」と腐ることはなく、読書や学問に打ち込むとてもマジメな青年へと成長します。この時、のちに自分の最高のパートナーとなる超優秀な学者・新井白石(あらいはくせき)と運命的な出会いを果たし、天下を治めるための勉強をコツコツと続けていたのです。
1709年、天下を恐怖で支配した第5代将軍の徳川綱吉が亡くなります。綱吉には男の子供がいなかったため、なんと48歳になっていた家宣が、急きょ第6代征夷大将軍に大抜擢されることになりました!思いがけないチャンスでしたが、当時の日本は最悪の状況。極端な法律のせいで人々はビクビク暮らし、大地震や富士山の噴火のせいで幕府はお金がスッカラカンでした。家宣は、このボロボロになった日本を立て直すという超ハードなミッションに挑むことになります。
将軍になった家宣が最初にやったこと、それは「生類憐れみの令の即日ストップ」でした!前の将軍・綱吉は「私が死んでもこの法律だけは続けろ」と遺言を残していましたが、家宣はそれを完全に無視。「こんな悪法はいらない!」とキッパリ宣言し、犬や虫を殺した罪で牢屋に入れられていた何千人もの無実の人たちを一気に解放しました。江戸の町は「新しい将軍様、バンザイ!」と大歓声に包まれ、家宣は一瞬にして人々の心をワシ掴みにしたのです。
民衆を救った家宣は、次に幕府の悪い家臣たちのお掃除を始めます。綱吉の威光をバックに威張っていた側用人の柳沢吉保(やなぎさわ よしやす)や、お金の質を落として日本中を大混乱させた荻原重秀(おぎわら しげひで)といった権力者たちを容赦なくクビにしました。これまで私腹を肥やしていた悪い役人たちを一掃したことで、「これからはクリーンで正しい政治が始まるぞ!」と、天下の人々に強いリーダーシップをアピールしたのです。
悪い家臣を追い出した家宣は、身分にとらわれず本当に優秀な人をトップに引き上げます。それが、甲府時代からの恩師である学者・新井白石と、元々は能役者(アーティスト)だった間部詮房(まなべ あきふさ)です。将軍とこの二人がチームを組み、学問や思いやりの心で国を治める素晴らしい政治をスタートさせました。歴史のテストで絶対に出るこの政治改革を、彼らが活躍した元号から正徳の治(しょうとくのち)と呼びます。
彼らが最初に取り組んだのが、ボロボロだった「経済の立て直し」です。前の時代に作られた、質の悪い巨大な硬貨(宝永通宝)を使うことを思い切ってストップさせました。さらに、お金に含まれる金や銀の量を昔の「良い質」に戻す作戦を実行します。これにより、モノの値段が上がりすぎて庶民が苦しんでいたインフレ状態を見事にストップさせました。ピンチだった日本の経済を、白石の天才的な頭脳と家宣の決断力で見事に救い出したのです!
家宣と白石のタッグは、外国との付き合い方(外交)も見直します。当時、将軍が変わるたびにお祝いに来てくれる朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)への接待に、幕府は莫大なお金を使っていました。白石は「お金の無駄遣いをやめて、もっとシンプルにおもてなししよう」と提案。さらに、将軍の呼び方を「日本大君」から「日本国王」に変更し、相手の国と本当の意味で「対等な関係」を作ろうとしました。お金を節約しながら国の威厳も守る、賢い外交作戦でした。
大名たちを縛る厳しいルール武家諸法度(ぶけしょはっと)も、家宣の時代に優しくリニューアルされました。これまでの「違反したらクビだぞ!」という力で脅すような冷たい文章から、白石のアイデアで「武士として、親や主君を大切にして、道徳を守って生きましょう」という雅やかな文章に変更されたのです。ルールを「恐怖」で守らせるのではなく、「武士としての誇り」で守らせるという、とても平和的で大人なやり方へと歴史が大きく前進しました。
家宣の思いやりは、幕府だけでなく天皇や貴族(朝廷)にも向けられます。当時、天皇家の跡継ぎがいなくなりそうになる大ピンチ(皇統の危機)が起きていました。これを見た家宣と白石は、天皇家が途絶えないように新しい親戚の家(閑院宮家:かんいんのみやけ)を作ることを許可してあげたのです。天皇をリスペクトして優しくサポートしたこの決断に、朝廷は深く感謝しました。実はこの宮家が、のちの歴史で天皇の血筋を繋ぐ超重要な役割を果たすことになります。
どん底の日本を救い、素晴らしい政治を次々と実現した家宣でしたが、将軍になってからわずか3年後の1712年、流行り風邪(インフルエンザ)をこじらせて51歳で亡くなってしまいます。死の直前、家宣は恩師の新井白石に「まだ幼い息子(第7代将軍・家継)を頼む…」と涙ながらに日本の未来を託しました。悪法に苦しむ人々を解放し、短い期間でパッと明るい光を灯した家宣。「もう少しいきてほしかった!」と誰もが惜しむ、優しくて立派な名君の生涯でした。