江戸時代の初期、一介の浪人から東南アジアに渡り、異国の地で最高位の貴族(太守)にまで上り詰めた、日本史上最高レベルのスケールを誇る大冒険家です!徳川家康が推進する朱印船貿易の船に乗ってシャム国(現在のタイ王国)へ渡海。首都アユタヤに形成されていた数千人規模の「アユタヤ日本人町」において、最強の日本人傭兵部隊を率いて数々の戦争で大活躍しました。その圧倒的な実力から日本人町のトップ(頭領)となり、シャムのソンタム王から「オークヤー・セーナーピムック」という最高位クラスの貴族の称号を与えられます。江戸幕府との外交も取り仕切るなど絶頂期を迎えますが、王の死後、権力を狙う野心家プラーサートトーンとの激しい後継者争いに巻き込まれます。南部のリゴールの太守として追いやられ、最後は戦傷の治療に見せかけて毒殺されるという、波乱万丈でドラマチックすぎるジャパニーズ・ドリームのストーリーです!
1590年頃、駿河国(現在の静岡県)に生まれました。若い頃は沼津藩主・大久保忠佐に仕え、駕籠(かご)を担ぐ身分の低い役目をしていましたが、「こんな狭い日本で終わる俺じゃない!」と、海外での大きな成功を夢見る野心に満ちた青年でした。
主君である大久保家が改易(お取り潰し)になると、長政は一念発起します。当時、徳川家康が推進していた朱印船貿易の船に乗り込み、東南アジアのシャム国(現在のタイ王国)の首都・アユタヤへと海を渡りました。一攫千金を夢見るサムライの壮大な冒険の始まりです。
当時のアユタヤには、貿易商人や、関ヶ原の戦い・大坂の陣などで敗れて日本を離れた浪人(サムライ)たちが集まる「日本人町」があり、数千人規模の日本人が暮らしていました。彼らは強力な傭兵部隊としてもシャム王室から非常に頼りにされる存在でした。
シャム国がスペイン艦隊や隣国のビルマ(ミャンマー)などと戦争になると、長政は日本人傭兵部隊を率いて最前線で戦いました。日本刀を持ったサムライたちの圧倒的な戦闘力と長政の巧みな指揮により、次々と敵を打ち破り、シャム王室からの絶大な信頼を勝ち取っていきます。
数々の武功と商売での成功により、長政はアユタヤ日本人町の中でメキメキと頭角を現します。その圧倒的なリーダーシップとカリスマ性で、個性派ぞろいの荒くれ者たちを見事にまとめ上げ、ついには日本人町のトップである「頭領」にまで上り詰めました。
彼の活躍を高く評価したシャムの国王(ソンタム王)は、長政になんと「オークヤー・セーナーピムック」という、タイの最高位クラスの貴族の称号を与えました!異国の地で、一介の浪人が王国の重臣(大臣クラス)にまで大出世するという、まさにジャパニーズ・ドリームを体現したのです。
長政は単なる武将ではなく、優秀な外交官・貿易商人でもありました。日本の江戸幕府(老中・本多正純など)とシャム王室の間に立って親書や贈り物をやり取りさせ、両国の友好関係と朱印船貿易を大きく発展させるという、国家レベルの重要なパイプ役を務めました。
しかし、最大の理解者であったソンタム王が亡くなると、シャム王室で血みどろの王位継承争いが勃発します!長政は先王の遺言を守って正規の王子を支持しますが、王位を狙う野心家の高官・プラーサートトーンと激しく対立することになり、宮廷のドロドロの権力闘争に巻き込まれていきます。
プラーサートトーンは、強大な武力を持つ長政を首都アユタヤから遠ざけるため、「南部のリゴール(現在のナコーンシータンマラート)で反乱が起きたから、太守(王のような存在)として鎮圧してくれ」と命じます。長政は反乱を見事に鎮圧し、なんとリゴールの王となりますが、これが悲劇の始まりでした。
1630年、リゴールでの戦闘で足に傷を負った長政の傷口に、プラーサートトーンの密命を受けた者が毒入りの膏薬を塗り込みました。異国の地で王にまで登り詰めた英雄は、陰謀によりあえなく毒殺されてしまいます。彼の死後、プラーサートトーンによってアユタヤ日本人町も焼き討ちにされ、その波乱万丈な歴史は幕を閉じました。