尾崎 行雄 おざき ゆきお

1858年 - 1954年 明治時代 - 昭和時代
生没年月日: 安政5年11月20日(1858年12月24日) 〜 昭和29年(1954年)10月6日
出身: 相模国(神奈川県相模原市) 政治家
日本の議会政治の誕生から戦後の民主化までを見届け、衆議院議員としてなんと連続25回当選・在職63年という驚異的な世界記録(ギネス記録)を樹立した「憲政の神様」にして「議会政治の父」です!青年期に福沢諭吉の門下生として学び、大隈重信らと共に立憲改進党を結成。1890年の第1回総選挙で当選して以来、一度も落選することなく国会に立ち続けました。東京市長時代には、日米友好の証としてアメリカのワシントンD.C.(ポトマック河畔)に3000本の桜を贈ったことでも有名です!大正時代の「第一次護憲運動」では、盟友の犬養毅と共に藩閥政治を強烈に批判し、「玉座をもって胸壁となし…」という歴史に残る痛快な名演説で内閣を退陣に追い込みました。さらに普通選挙の実現に奔走し、軍部が台頭する時代にあっても命懸けで反戦と平和を訴え続けた、信念と情熱の塊のようなスーパー政治家のストーリーです!
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福沢諭吉の門下生からジャーナリストへ

1858年、相模国(神奈川県)に生まれました。青年期に上京して福沢諭吉の慶應義塾で学び、その優秀さからすぐに頭角を現します。その後、ジャーナリストとして新聞の論説委員を務め、鋭い筆鋒で自由民権運動を言論の面から力強くリードしていきました。
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大隈重信と立憲改進党の結成

1881年、政府を追放された大隈重信に合流し、若くして「立憲改進党」の結成に加わります。イギリス流の議会政治(政党内閣制)の実現を目指して全国を飛び回り、国民に政治の重要性を熱く訴えかけました。
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第1回総選挙と63年の伝説の幕開け

1890年、日本で初めて行われた第1回衆議院議員総選挙に出馬し、見事当選を果たします!ここからなんと、1953年に政界を引退するまで連続25回当選、在職期間63年という、日本の憲政史上(そして世界でも)類を見ない驚異の伝説がスタートしたのです。
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痛恨の失言?「共和演説事件」

1898年、日本初の政党内閣である第1次大隈内閣(隈板内閣)で、文部大臣に大抜擢されます。しかし、「もし日本が共和制になったら…」という例え話を用いた演説が「天皇を否定している!」と激しい非難を浴び、わずか数ヶ月で辞任に追い込まれてしまいました。
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東京市長とワシントンの桜

1903年から約9年間にわたり東京市長を務め、水道などのインフラ整備に尽力しました。特に有名なのが、1912年に日米友好の証としてアメリカの首都ワシントンD.C.へ3000本の桜の苗木を贈ったことです。この桜は現在でもポトマック河畔で美しく咲き誇っています。
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第一次護憲運動!桂内閣をぶっ飛ばせ

1912年、藩閥(長州閥)の桂太郎が天皇の権威を利用して首相になると、民衆と共に「閥族打破・憲政擁護」を掲げて立ち上がります!(第一次護憲運動)。盟友・犬養毅(木堂)と共に、議会で桂首相を激しく追及する名演説を打ち、見事に内閣を総辞職へと追い込みました。
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「玉座をもって胸壁となし…」の名演説

この護憲運動での彼の演説は歴史的です。「彼らは常に天皇の玉座を盾にして自分たちを守り、天皇からの命令を弾丸のように放って政敵を倒そうとしている!」と、権力者の卑怯なやり方を劇的な言葉で痛烈に批判し、議場は割れんばかりの大歓声に包まれました。
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万民に権利を!普通選挙への情熱

一部のお金持ち(高額納税者)しか選挙権を持っていなかった時代に、「すべての成人男性に選挙権を与えるべきだ!」と普通選挙(普選)運動の先頭に立ちました。彼の長年の粘り強い活動が実を結び、ついに1925年、普通選挙法が成立し、民主主義が大きく前進しました。
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軍部への抵抗と不屈の反戦

昭和に入り、軍部が台頭して戦争への足音が近づく中、彼は決して迎合しませんでした。命の危険を顧みずに軍事予算の削減や平和外交を訴え続け、第二次世界大戦中には不敬罪で逮捕される(後に無罪)という弾圧を受けながらも、信念を曲げずに平和を叫び続けました。
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世界連邦と永遠の「憲政の神様」

戦後も90歳を超えてなお現役の議員として活躍し、恒久平和を目指す「世界連邦建設同盟」の初代会長に就任しました。1953年に落選して政界を引退し、翌1954年に95歳で大往生。衆議院名誉議員の称号を贈られ、日本の民主主義を育てた「憲政の神様」として永遠に歴史に名を刻みました。
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