1372年、沖縄本島南部(南山)の佐敷(さしき)を治める小さな按司(あじ:地域のリーダー)である思紹(ししょう)の長男として誕生しました。当時は中山・山南(南山)・山北(北山)の三つの勢力が激しく争う「三山時代」の真っ只中でした。
若き日の伝説として、彼が外国の商人から手に入れた貴重な「鉄」を惜しげもなく農民たちに分け与え、鉄製の農具を作らせたという逸話が残っています。この画期的な行動により農業の生産性が飛躍的に向上し、彼は民衆から絶大な支持を得ました。
力をつけた彼は、1406年に中山の王である武寧(ぶねい)を攻撃して見事に打倒します。しかし彼は自ら王にはならず、父である思紹を中山王として即位させ、自分はその背後で実権を握りながらさらなる統一への布石を打ちました。
王都をそれまでの浦添から「首里(しゅり)」へと移し、高台にある首里城を王城として壮大に拡張・整備しました。この首里城は、その後約450年にわたって琉球王国の政治・外交・文化の中心として栄華を誇ることになります。
1416年(または1422年)、天下の険と謳われた北山の拠点・今帰仁城(なきじんぐすく)へ進軍!北山王・攀安知(はんあんち)の猛烈な抵抗に遭いますが、持ち前の巧みな計略を用いて内部から崩し、難攻不落の城をついに陥落させました。
1421年に父・思紹が亡くなると、翌年に自ら中山王に即位します。そして当時の東アジアの超大国である明(中国)の皇帝に使いを送り、正式な王として認められると共に「尚(しょう)」という姓を賜り、「尚巴志」と名乗るようになりました。
1429年、ついに残る最後の勢力であった南山の王・他魯毎(たるみ)を滅ぼし、沖縄本島を完全に制圧!ここに史上初となる統一国家「琉球王国」が誕生し、第一尚氏王統による輝かしい歴史の幕が上がりました。
彼は先見の明に優れており、那覇港を大改修して国際貿易の拠点としました。明をはじめ、日本、朝鮮、さらには東南アジアの国々と活発な「中継貿易」を行い、小さな島国を「万国津梁(世界の架け橋)」と呼ばれるほどの経済大国へと成長させました。
政治や経済だけでなく、文化や宗教の発展にも力を注ぎました。王都に安国寺を建立して仏教を厚く保護し、朝鮮半島から貴重な仏教経典(大蔵経)を取り寄せるなど、平和で文化的な国づくりを推進しました。
1439年、琉球の礎を築き上げた偉大な初代国王は68歳で崩御しました。彼が一代で創り上げた琉球王国は、その後も独自の美しい文化や伝統を育みながら、1879年の琉球処分に至るまで約450年もの長きにわたって東シナ海に輝き続けました。