太 安万侶 おおの やすまろ

生年不明 - 723年 奈良時代
生没年月日: 生年不詳 〜 養老7年7月6日(723年8月11日)
出身: 大和国(奈良県奈良市)※活動拠点 文官、貴族
日本最古の歴史書『古事記』を編纂し、日本の神話と歴史を後世に書き残した奈良時代の偉大な文官です!天武天皇の命によって稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗記していた神話や歴史を、元明天皇の命令を受けて安万侶が文字(漢字)に書き起こしました。当時の日本にはまだ独自の文字(ひらがな)がなく、日本語の発音を漢字の音に当てはめて書くという、気が遠くなるような超難解な作業を見事に完遂!712年に『古事記』を完成させました。さらに、国の正式な歴史書である『日本書紀』の編纂にも関わったとされています。長年、「本当に実在したのか?」と疑われていましたが、1979年に奈良県で彼のお墓(太安萬侶墓誌)が奇跡的に発見され、実在が完全に証明されたことで日本中の歴史ファンを熱狂させました!日本のルーツを文字として現代に伝えてくれた、古代最高の編集長にして歴史プロデューサーのストーリーです!
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名門・太(多)氏の出身

生年は不明ですが、神武天皇の子(神八井耳命)を祖先とする名門氏族である太(多)氏(おおし)の出身です。代々、朝廷の儀式や伝承を司る由緒正しい家柄であったとされ、この血筋がのちに国家の歴史書編纂を任される大きな理由となりました。
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天武天皇の歴史編纂プロジェクト

飛鳥時代、天武天皇は「諸家が勝手に伝えている歴史には嘘が多い!今のうちに正しい歴史をまとめなければ!」と強い危機感を抱き、国としての正式な歴史書を作るための巨大プロジェクトを立ち上げました。
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天才・稗田阿礼の暗記力

天武天皇が白羽の矢を立てたのが、一度見たものや聞いたものを絶対に忘れないという超人的な記憶力を持つ「稗田阿礼(ひえだのあれ)」でした。阿礼は天皇の命を受け、正しい神話や歴史(帝紀・旧辞)を頭の中に完璧に叩き込みました。
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元明天皇からの勅命

しかし天武天皇が亡くなり、プロジェクトは一時ストップしてしまいます。その後、奈良時代に入って元明天皇(女性天皇)がこの事業を引き継ぎ、「稗田阿礼が覚えている歴史を文字に書き記しなさい」と、安万侶に大役を命じました。
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超難題!日本語を漢字で書く苦労

当時の日本にはまだ「ひらがな」や「カタカナ」がなく、中国の漢字しかありませんでした。日本語の微妙なニュアンスや神様の長い名前を、漢字の意味と音を複雑に組み合わせて表現しなければならず、安万侶は血のにじむような工夫を重ねました。
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日本最古の歴史書『古事記』完成!

元明天皇の命令からわずか数ヶ月後の712年、安万侶はついに『古事記』全3巻を完成させ、天皇に献上しました!上巻は神々の誕生(神話)、中・下巻は初代・神武天皇から推古天皇までの歴史がドラマチックに描かれています。
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名文!古事記の「序文」

『古事記』の冒頭には、安万侶自身が書いた「序文」が添えられています。そこには、天地の始まりから古事記が完成するまでの経緯、そして「日本語を漢字で書き記すことの苦労」が美しい漢文で綴られており、彼の高い教養と情熱が伝わってきます。
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国家の正史『日本書紀』への関与

『古事記』完成後も彼の歴史編纂の仕事は続いたと考えられています。720年に完成した日本の正式な歴史書『日本書紀』(全30巻)の編纂プロジェクトにおいても、最高責任者であった舎人親王を実務面で強力にサポートしていたと推測されています。
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文官としての昇進と最期

歴史書の編纂という国家の超重要プロジェクトを成し遂げた安万侶は、朝廷の官僚(文官)としても見事に出世し、最終的には「従四位下(じゅしいのげ)」という高い位に上り詰め、723年に誇り高き生涯を閉じました。
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奇跡の大発見!太安萬侶墓誌

実は長年、「古事記は偽物で、安万侶も架空の人物では?」という説がありました。しかし1979年、奈良市の茶畑から彼のお墓が発掘され、名前や亡くなった日が刻まれた「墓誌(銅板)」が発見されました!彼の生存が完璧に証明された、日本考古学史に残る奇跡の大発見でした。
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