生年は不明ですが、神武天皇の子(神八井耳命)を祖先とする名門氏族である太(多)氏(おおし)の出身です。代々、朝廷の儀式や伝承を司る由緒正しい家柄であったとされ、この血筋がのちに国家の歴史書編纂を任される大きな理由となりました。
飛鳥時代、天武天皇は「諸家が勝手に伝えている歴史には嘘が多い!今のうちに正しい歴史をまとめなければ!」と強い危機感を抱き、国としての正式な歴史書を作るための巨大プロジェクトを立ち上げました。
天武天皇が白羽の矢を立てたのが、一度見たものや聞いたものを絶対に忘れないという超人的な記憶力を持つ「稗田阿礼(ひえだのあれ)」でした。阿礼は天皇の命を受け、正しい神話や歴史(帝紀・旧辞)を頭の中に完璧に叩き込みました。
しかし天武天皇が亡くなり、プロジェクトは一時ストップしてしまいます。その後、奈良時代に入って元明天皇(女性天皇)がこの事業を引き継ぎ、「稗田阿礼が覚えている歴史を文字に書き記しなさい」と、安万侶に大役を命じました。
当時の日本にはまだ「ひらがな」や「カタカナ」がなく、中国の漢字しかありませんでした。日本語の微妙なニュアンスや神様の長い名前を、漢字の意味と音を複雑に組み合わせて表現しなければならず、安万侶は血のにじむような工夫を重ねました。
元明天皇の命令からわずか数ヶ月後の712年、安万侶はついに『古事記』全3巻を完成させ、天皇に献上しました!上巻は神々の誕生(神話)、中・下巻は初代・神武天皇から推古天皇までの歴史がドラマチックに描かれています。
『古事記』の冒頭には、安万侶自身が書いた「序文」が添えられています。そこには、天地の始まりから古事記が完成するまでの経緯、そして「日本語を漢字で書き記すことの苦労」が美しい漢文で綴られており、彼の高い教養と情熱が伝わってきます。
『古事記』完成後も彼の歴史編纂の仕事は続いたと考えられています。720年に完成した日本の正式な歴史書『日本書紀』(全30巻)の編纂プロジェクトにおいても、最高責任者であった舎人親王を実務面で強力にサポートしていたと推測されています。
歴史書の編纂という国家の超重要プロジェクトを成し遂げた安万侶は、朝廷の官僚(文官)としても見事に出世し、最終的には「従四位下(じゅしいのげ)」という高い位に上り詰め、723年に誇り高き生涯を閉じました。
実は長年、「古事記は偽物で、安万侶も架空の人物では?」という説がありました。しかし1979年、奈良市の茶畑から彼のお墓が発掘され、名前や亡くなった日が刻まれた「墓誌(銅板)」が発見されました!彼の生存が完璧に証明された、日本考古学史に残る奇跡の大発見でした。