江戸時代最後の大パニックである幕末に彗星のごとく現れ、日本を洗濯(大改革)しようとした超人気ヒーローです!土佐藩(高知県)の下級武士として生まれましたが、脱藩して自由の身となり、敵同士だった薩摩藩と長州藩を結びつける薩長同盟を大成功させました。さらに、日本初の株式会社とも言われる亀山社中(海援隊)を作ったり、新しい政府のアイデアである船中八策を考え出したりと、スケールの大きすぎる活躍を見せます。最後は暗殺されてしまいますが、彼の行動がなければ日本の近代化はもっと遅れていたかもしれません!
1836年、土佐国(高知県)の下級武士(郷士)の家に生まれました。幼い頃は泣き虫で、勉強も運動も苦手な落ちこぼれ。お姉さんの乙女(おとめ)に厳しく鍛えられて育ちました。当時の土佐藩には非常に厳しい身分差別があり、上級武士と下級武士の間には決して越えられない壁がありました。龍馬はこの理不尽な身分制度を肌で感じながら、「人間の価値は身分なんかで決まらない!」という自由で大きな心を密かに育てていくのです。
青年になった龍馬は、剣術の腕を磨くために江戸(東京)へ留学します。そこで運命の大事件に遭遇!1853年、アメリカからペリー率いる巨大な黒船がやって来たのです(黒船来航)。煙を吐き、巨大な大砲を積んだ真っ黒な蒸気船を目の当たりにした龍馬は、「こんなすごい船を持つ外国と刀で戦っても絶対に勝てない!」と大ショックを受けます。剣術だけでは日本を守れないと悟り、広い世界へと目を向ける大きなキッカケとなりました。
外国の脅威が迫る中、土佐藩の中では「外国を打ち払え!」という尊王攘夷(そんのうじょうい)の運動が盛り上がります。しかし、窮屈な藩のルールに縛られていては、大きな行動は起こせません。1862年、龍馬はついに土佐藩を抜け出す「脱藩(だっぱん)」を決意します!当時の脱藩は、捕まれば死刑になるかもしれない大罪です。命がけで藩という小さな枠組みを飛び出し、日本中を自由に駆け巡る「浪人」としての道を歩み始めました。
自由の身になった龍馬は、幕府の偉い役人でありながら外国の事情に詳しい勝海舟(かつ かいしゅう)を暗殺しようと訪問します。しかし、逆に海舟から「これからの日本には海軍が必要だ!」と世界規模の壮大な話をされ、すっかり感動してその場で弟子入りしてしまいました。海舟のサポートを受け、神戸に「海軍操練所」という学校を作り、身分に関係なく優秀な若者たちを集めて航海術や外国の知識を猛勉強し始めます。
ところが、幕府のルールが変わって海軍の学校は閉鎖されてしまいます。行き場を失った龍馬は、長州藩(山口県)のサポートを受けて、長崎に「亀山社中(かめやましゃちゅう)」というグループを設立しました。これは、船を使って物を運んだり、外国から武器を買ってきたりする貿易会社で、「日本初の株式会社」とも言われています!侍でありながらビジネスの力を使って日本を変えようとした、龍馬ならではの画期的なアイデアでした。
当時、日本で一番強い力を持っていた薩摩藩(鹿児島県)と長州藩(山口県)は、とても仲が悪く、激しく対立していました。しかし、「この2つが協力しないと古い幕府は倒せない!」と考えた龍馬は、間に入って必死に交渉を行います。亀山社中を使って長州に武器を回すなどの工夫を凝らし、ついに1866年、奇跡の薩長同盟(さっちょうどうめい)を成立させました!龍馬の交渉力が、日本の歴史を大きく動かした瞬間です。
薩長同盟を成功させた直後、京都の「寺田屋」という宿屋にいた龍馬は、幕府の役人たちに突然襲撃されます(寺田屋事件)。お風呂に入っていた恋人のお龍(おりょう)が裸のまま階段を駆け上がり、危機を知らせてくれたおかげで、ピストルで応戦しながら間一髪で逃げ延びることができました。この時におった深い傷を癒やすため、龍馬はお龍を連れて鹿児島(薩摩)の温泉へ向かいます。これが日本で最初の「新婚旅行」だと言われています!
薩摩と長州が幕府を武力で倒そうとする中、龍馬は「日本人同士で戦争をしている場合ではない!」と考えます。そこで、船での移動中に新しい国のデザイン案である船中八策(せんちゅうはっさく)を考え出しました。「政治の権力を天皇にお返しする」「身分に関係なく優秀な人を政治家にする」といった、現代の日本にも通じる画期的なアイデアが詰まっています。血を流さずに平和的に日本を生まれ変わらせるための、最高傑作のプランでした。
龍馬の「船中八策」のアイデアは、土佐藩のトップを通じて江戸幕府の第15代将軍・徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)へと伝えられました。これを受けた慶喜は1867年、ついに自ら政治の権力を天皇に返すという大決断を下します。これが、テストに絶対に出る大政奉還(たいせいほうかん)です!これにより、約260年続いた江戸幕府の歴史が終わりを告げ、戦争を避けたまま新しい明治時代へと向かう扉が大きく開かれたのです。
大政奉還が成立し、「これからの日本はどうなるのか!」と誰もがワクワクしていた矢先の1867年11月15日。龍馬は京都の近江屋(おうみや)という宿屋で、共に日本を変えようと活動していた中岡慎太郎と一緒にいたところを、暗殺者に襲撃されて命を落としてしまいます(近江屋事件)。なんと自身の33歳の誕生日という、あまりにも早すぎる悲運の最期でした。しかし、龍馬が蒔いた「新しい日本」の種は、後の時代で大きく花開くことになります。