733年、備前国(岡山県)の地方豪族の家に生まれます。姉の和気広虫(わけのひろむし)と共に都へ上り、朝廷に仕えました。姉の広虫は称徳天皇から非常に厚い信頼を受ける側近であり、清麻呂自身も誠実で実直な官僚として順調に出世の階段を登っていました。
769年、日本の歴史を揺るがす大事件が起きます。称徳天皇から絶大な寵愛を受けていた僧侶・道鏡が、「道鏡を天皇にすれば天下は平和になる」という九州・宇佐八幡宮からの神のお告げ(神託)を偽造し、自らが天皇の座を乗っ取ろうと企んだのです。
「皇族以外の者が天皇になるなどあり得ない!」と朝廷は大混乱に陥ります。称徳天皇は神託の真偽を確かめるため、清麻呂を勅使(天皇の使い)として九州の宇佐八幡宮へ派遣することを決定しました。道鏡は清麻呂に対し「私に有利な報告をすれば高官にしてやる」と持ちかけます。
道鏡からの誘惑と、従わなければ殺されるかもしれないという恐怖。しかし清麻呂は決して屈しませんでした。宇佐八幡宮で祈りを捧げ、「日本の国が始まって以来、君臣の身分は定まっている。皇族ではない者が天皇になることは絶対に許されない!」という本物の神託を持ち帰ったのです!
野望を打ち砕かれた道鏡は激怒!清麻呂の官位をすべて剥奪し、あろうことか名前を「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ:汚いヤツという意味)」という屈辱的なものに改名させました。さらに姉の広虫も「狭虫(さむし)」と改名させられ、清麻呂は遠く大隅国(鹿児島県)へと流罪にされてしまいます。
流罪の道中、道鏡の放った刺客に襲われて足の筋を斬られるという絶体絶命のピンチに陥ります。しかしその時、どこからともなく300頭もの野生のイノシシの群れが現れ、清麻呂の輿(こし)の周りを囲んで刺客から守り抜き、さらに彼の足の傷まで不思議と治ってしまったという奇跡の伝説が残されています。
翌年の770年、称徳天皇が崩御したことで道鏡はあっけなく失脚し、下野国(栃木県)へ左遷されました。新しく即位した光仁天皇によって清麻呂はただちに都へ呼び戻され、元の名前と官位を取り戻して、劇的な政界復帰を果たします!
光仁天皇の次代である桓武天皇の時代になると、天皇からその忠誠心と実務能力を高く評価され、最も信頼される右腕(腹心)として大活躍します。土木工事や治水事業にも天才的な才能を発揮し、国家の重要なプロジェクトを次々と成功させました。
当時、桓武天皇は新しく造った「長岡京」での相次ぐ身内の不幸や怨霊の噂、さらに水害などのトラブルに深く悩んでいました。そこで清麻呂は、天皇を山背国(京都盆地)へ案内し、「こここそが都にふさわしい場所です!」と『平安京』への遷都を力強く提案したのです。
清麻呂は平安京を造営する最高責任者(造宮大夫)に任命され、持てる知識と情熱のすべてを注ぎ込んで新しい都の基礎を築き上げました。遷都からわずか5年後の799年、67歳でこの世を去ります。彼が命懸けで守った皇室と、彼が創り上げた平安の都は、その後1000年以上の長きにわたって日本の歴史を紡いでいくことになります。