前島 密 まえじま ひそか

1835年 - 1919年 幕末 - 明治時代
生没年月日: 天保6年1月7日(1835年2月4日) 〜 大正8年(1919年)4月27日
出身: 越後国(新潟県上越市) 官僚、政治家、実業家
日本の近代化において、全国に手紙や小包を安く・早く・正確に届ける大動脈を創り上げた「日本郵便の父」にして、現在も「1円切手」の顔として親しまれる偉大なる官僚(実業家)です!越後国(新潟県)の豪農の家に生まれ、医学や蘭学、英語など幅広い学問を修めました。幕末には将軍・徳川慶喜に対して「国民の教育のために難しい漢字を廃止しよう」という大胆な『漢字御廃止之議(かんじごはいしのぎ)』を建白するほどの先見の明を持っていました。明治新政府に入ると、渋沢栄一大久保利通らにその並外れた実務能力を見出されます。最大の功績は、それまで高額だった「飛脚」に代わり、イギリスの制度を参考にして、全国どこでも均一料金で手紙を送れる郵便制度を創設したことです。「郵便」「切手」「葉書」という名称も彼が考案しました!さらに、人々の少額のお金を集めて国の資金にする「郵便貯金(郵貯)」の仕組みや、郵便網を活用した『報知新聞』の発行、さらには大隈重信に協力して東京専門学校(現在の早稲田大学)の創設に関わるなど、通信・金融・交通・教育のあらゆる分野で近代日本のインフラを爆速で整備しました。地味ながらも国家の血流を創り上げた、縁の下の最強プロデューサーの熱きストーリーです!
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蘭学と英語を極めた越後の秀才

1835年、越後国(新潟県上越市)の豪農の家に生まれました。幼少期から非常に優秀で、江戸に出て医学や蘭学(オランダ語)、さらには英語や機関学など、西洋の最先端の学問を貪欲に吸収し、時代の先を読む力を養いました。
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超大胆!「漢字御廃止之議」

幕末の1866年、将軍・徳川慶喜に対して「国民の識字率を上げ、教育を普及させるためには、難解な漢字を廃止して『ひらがな』だけにすべきだ!」という超大胆な『漢字御廃止之議』を建白。彼の教育への熱い思いと先見性が光るエピソードです。
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渋沢栄一と大久保利通のスカウト

明治新政府が誕生すると、その圧倒的な実務能力と知識が渋沢栄一の目に留まり、政府(民部省)にスカウトされます。さらに最高実力者である大久保利通からも絶大な信頼を得て、「前島密」と改名し、近代国家建設の最前線に立つことになりました。
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「日本郵便の父」と画期的な新制度

最大の功績が「郵便制度」の創設です!それまでの「飛脚」は値段が高く時間もかかりましたが、彼は「距離に関係なく全国一律の安い料金で届ける」という画期的なシステムを考案。「郵便」「切手」「葉書」というお馴染みの言葉も彼が名付け親です。
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イギリスでの視察と確信

郵便制度を立ち上げた直後、鉄道建設の資金交渉のためにイギリスへ出張します。そこで実際に世界最先端のイギリスの郵便局の仕組みや、郵便事業を通じたネットワークの威力を目の当たりにし、日本の郵便制度をさらに発展させるための強烈なインスピレーションを得ました。
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国家の血流!「郵便貯金」の創設

手紙を運ぶだけでなく、全国津々浦々にできた郵便局のネットワークを活用して「郵便貯金(郵貯)」の制度も創設しました。庶民から少額の資金を集め、それを元手に国のインフラ整備(鉄道や産業)を進めるという、まさに国家の血流を創り上げた大発明でした。
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陸海空のインフラを爆速整備

郵便だけでなく、交通インフラの整備にも奔走しました。江戸への遷都(東京奠都)を強く主張して国家の拠点を定めたほか、海運会社を設立して三菱の岩崎弥太郎と激しい競争を繰り広げ、さらに鉄道や電信網の敷設など、近代日本の土台を爆速で作り上げました。
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メディアと教育への情熱

郵便網を使って安く素早く情報を届けるため、『郵便報知新聞(のちの報知新聞)』の発行を支援し、メディアの発展に貢献。さらに、盟友・大隈重信の「東京専門学校(現在の早稲田大学)」の創設に深く関わり、自ら校長を務めるなど、教育にも情熱を注ぎました。
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1円切手の顔としての永遠のレジェンド

彼の肖像画は、1951年(昭和26年)から現在に至るまで、ずっと「1円切手」のデザインとして使われ続けています。どれだけ時代が変わっても、「郵便の基礎を築いた偉人を忘れないように」という日本郵便の深いリスペクトの証です。
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盲目になっても燃え続けた情熱

晩年は政府の第一線を退き、さらに視力を失って盲目となってしまいますが、決して情熱を失うことはありませんでした。口述筆記によって自身の回顧録を残し、日本の将来を案じながら、1919年に85歳で大往生を遂げました。まさにインフラに人生を捧げた偉人です。
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