元禄文化を代表する大ベストセラー作家にして、1昼夜で2万3500句もの俳句を詠んだという超人的な記録を持つ天才俳諧師・浮世草子作者です!大坂の裕福な町人に生まれ、最初は談林派の俳諧師として活躍していましたが、愛妻の死をキッカケに文学の世界へさらに没頭。41歳の時に書いた、主人公・世之介の自由奔放な恋愛模様を描いた『好色一代男』が爆発的な大ヒットを記録し、「浮世草子」という新しい小説のジャンルを確立しました。その後も、武士の義理や仇討ちを描いた「武家物」や、お金に執着する町人のリアルな姿を描いた『日本永代蔵』、大晦日の借金取りとの攻防をコミカルかつシビアに描いた『世間胸算用』などの「町人物」を次々と発表!人間の尽きることのない「欲望(色と金)」を鋭く、そして温かい目で見つめ、江戸時代の庶民のリアルな姿を鮮やかに描き出した、エンターテインメント小説の絶対的ルーツのストーリーです!
1642年、商業の中心地である大坂(大阪)の裕福な町人(商家)の長男として生まれました。幼い頃から家業よりも文芸に強い関心を持ち、15歳頃から俳諧(俳句のルーツ)を始め、めきめきと才能を発揮していきました。
20歳を過ぎた頃、当時の俳諧の最先端であった「談林派」の祖・西山宗因(にしやまそういん)に弟子入りします。自由で軽快、そして庶民的なユーモアあふれる談林派のスタイルは、西鶴の感性にピタリとハマり、頭角を現しました。
34歳の時、若くして愛する妻を亡くすという深い悲しみに襲われます。この悲しみから逃れるためか、家業を番頭に任せて自らは出家(剃髪)し、より一層ストイックに文学や俳諧の創作活動へとのめり込んでいきました。
西鶴の特技は、限られた時間内にどれだけ多くの俳句(俳諧)を詠めるかを競う「矢数俳諧(やかずはいかい)」でした。妻を亡くした直後には、妻への供養として1日(一昼夜)で1000句を独吟するという記録を打ち立て、世間を驚かせました。
さらにエスカレートした彼は、1684年に住吉大社(大阪)で行われた矢数俳諧で、なんと一昼夜で「2万3500句」という人類の限界を超える超絶記録を打ち立てます!計算すると「約3.6秒に1句」という、信じられない神スピードでした!
1682年、41歳の時に初の小説『好色一代男』を出版します。7歳から60歳まで恋愛(色恋)の道を究め続けた主人公・世之介の一代記を描いたこの作品は、江戸や大坂で爆発的な大ベストセラーとなり、彼の運命を大きく変えました。
『好色一代男』の大ヒットにより、それまでの教訓じみた古い小説(仮名草子)に代わり、庶民のリアルな生活や享楽を描く「浮世草子(うきよぞうし)」という新しいエンターテインメント小説のジャンルが完全に確立されました。
恋愛もの(好色物)だけでなく、武士の世界にも目を向けました。『武道伝来記』などの「武家物」と呼ばれる作品群では、主君への忠義や男同士の友情、仇討ちなど、武士としての意地やメンツに命を懸ける男たちの過酷な生き様を鋭く描きました。
彼の観察眼は、地元である大坂の商人たちへも向けられます。お金を貯めることの面白さや恐ろしさ、町人たちのシビアな経済観念をリアルに描いた『日本永代蔵』などの「町人物」は、資本主義社会を生きる現代人にも突き刺さる名作です。
晩年の傑作『世間胸算用』では、なんとか借金を取り立てようとする人々と、あの手この手で逃げ回る庶民の「大晦日の攻防戦」をコミカルかつ哀愁たっぷりに描きました。人間の欲望を肯定し、ありのままの姿を描き続けた西鶴は、1693年に52歳でその鮮やかな生涯を閉じました。