1882年、ニューヨーク州の超裕福な名門一族に生まれます。実は、第26代大統領のセオドア・ルーズベルトは彼の従兄(第5世代)にあたります。さらに、フランクリンが結婚した妻・エレノアは、なんとセオドアの姪っ子!まさに政治的サラブレッドの家系でした。
エリートコースを歩んでいましたが、39歳の時にポリオ(小児麻痺)を発症し、下半身の自由を完全に失うという絶望的な悲劇に見舞われます。しかし彼は決して政界を引退せず、重い鉄製の装具を足につけ、車椅子に乗って不屈の闘志で政界に復帰しました。
1929年の「ウォール街大暴落」から始まった世界恐慌で、アメリカ経済は失業者が溢れるどん底状態に。1933年に大統領に就任した彼は、就任演説で「私たちが唯一恐れるべきものは、恐れそのものである」と力強く語り、国民に希望の光を与えました。
恐慌から脱却するため、それまでの「政府は経済に口出ししない」という常識を覆し、政府が積極的に公共事業(TVA:テネシー川流域開発公社など)を行って雇用を生み出す「ニューディール政策(新規まき直し)」を断行!アメリカ経済を立て直しました。
彼は「メディアの達人」でもありました。ラジオを通じて、まるで暖炉の前で語りかけるように国民に直接政策を説明する「炉辺談話(Fireside Chats)」を定期的に放送。この親しみやすい語り口が、不安に陥っていた国民の心をガッチリと掴みました。
ヨーロッパで第二次世界大戦が始まると、中立を保ちながらもイギリスを支援して日本を経済制裁で追い詰めます。1941年12月8日の日本軍による真珠湾攻撃を受けると、「昨日は屈辱の日(a date which will live in infamy)である」と議会で激しい怒りの演説を行い、参戦を決定しました。
戦争中、亡命ユダヤ人科学者のアインシュタインらからの「ナチス・ドイツが原爆を作るかもしれない」という手紙を受け取り、極秘裏に原子爆弾の開発を進める「マンハッタン計画」をスタートさせます。これがのちに、日本に投下される原爆へと繋がることになりました。
アメリカ大統領は初代ワシントンの慣例に倣い「2期(8年)まで」とするのが暗黙のルールでしたが、世界恐慌と第二次世界大戦という未曾有の危機の中、彼は特例として3選、さらには4選を果たしました。アメリカ史上、3期以上大統領を務めたのは彼だけです。
大戦末期の1945年2月、ソ連のクリミア半島でイギリスのチャーチル、ソ連のスターリンと「ヤルタ会談」を行います。ここでドイツの分割統治やソ連の対日参戦、そして戦後の平和を維持する「国際連合」の創設など、現在の世界秩序の土台を決定しました。
激務により彼の体はすでに限界を迎えていました。1945年4月12日、休暇中に脳溢血で突然この世を去ります(享年63)。ドイツの降伏(5月)と日本の降伏(8月)という最終的な戦勝を見る直前の死であり、副大統領のトルーマンが後を継ぎました。