ホーム > 勉強ルーム > 日本史 人物事典 > ペリー(マシュー・ペリー)

ペリー(マシュー・ペリー) ぺりー(ましゅー ぺりー)

1794年 - 1858年 江戸時代後期(幕末)
生没年月日: 1794年4月10日 〜 1858年3月4日
国: アメリカ 出身: ロードアイランド州ニューポート 軍人、アメリカ海軍提督
1853年、巨大な蒸気船を率いて日本にやってきたアメリカ海軍の提督です。歴史のテストで必ず出る黒船来航の主役であり、200年以上続いた日本の鎖国を終わらせた人物として有名です。翌年に再び日本を訪れ、日米和親条約を結んで見事に日本を開国させました。「蒸気海軍の父」とも呼ばれるエリート軍人で、彼がもたらした西洋の最新テクノロジーと強引な外交交渉は、日本を大パニックに陥れ、幕末という激動の時代をスタートさせる最大のキッカケとなりました!
スポンサーリンク
👶

海軍エリート一家への誕生

1794年、アメリカのロードアイランド州で生まれました。お父さんもお兄さんも海軍の軍人という、まさに海軍エリート一家!特にお兄さんのオリバーは、イギリスとの戦争で大活躍したアメリカの国民的ヒーローでした。そんな偉大なお兄さんの背中を見て育ったペリーも、わずか15歳で海軍に入隊し、軍人としての厳しい訓練を受けながら海を舞台にしたキャリアをスタートさせます。
🚢

蒸気海軍の父としての活躍

青年になったペリーは、「これからの海軍は風の力で進む帆船ではなく、石炭を燃やして動く蒸気機関の時代になる!」といち早く見抜きます。そして、周囲の反対を押し切ってアメリカで初めての蒸気軍艦を造る計画を強力に推し進めました。新しいテクノロジーを積極的に取り入れ、海軍の近代化に大きく貢献した彼は、のちにアメリカ国内で「蒸気海軍の父」と呼ばれるほどの偉大なイノベーターへと成長していくのです。
📜

日本を開国せよ!大統領の特命

当時、アメリカは太平洋でクジラを捕る船(捕鯨船)の休憩場所や、中国と貿易をするための中継地点として、日本の港をどうしても使いたいと考えていました。そこでフィルモア大統領は、ベテラン提督となっていたペリーに「日本を開国させてきなさい!」という超重要ミッションを命じます。ペリーは日本の歴史や文化を徹底的に勉強し、準備万端で極東の島国へと出発しました。
🌊

1853年!テストに出る黒船来航

1853年7月、ペリー率いる4隻の軍艦が、日本の浦賀(神奈川県)に突如として現れました。これが歴史のテストで絶対に暗記する黒船来航(くろふねらいこう)です!モクモクと黒い煙を吐き出しながら、風もないのに海をスイスイ進む巨大な蒸気船を見た日本人は、「海に浮かぶお城だ!」「大砲が恐ろしい!」と腰を抜かすほどビックリ仰天し、江戸の町は大パニックに陥りました。
💌

強気な交渉と大統領の親書

江戸幕府の役人は「外国船は長崎に行け!」とルールを説明しますが、ペリーは大砲の威力をチラつかせながら、「大統領からの手紙(親書)を受け取らないなら、江戸に直接乗り込むぞ!」と超強気な態度で脅かします。この「砲艦外交(ほうかんがいこう)」と呼ばれるプレッシャーに幕府は完全に負けてしまい、ルールを破って浦賀で手紙を受け取るという異例の対応をしてしまいました。

1年後の再会を約束する引き際

手紙を渡したペリーは、「すぐに答えを出すのは無理だろうから、また来年、返事を聞きに戻ってくるよ」と言い残し、あっさりと中国方面へ引き返していきました。実はこれもペリーの計算通り!巨大な黒船の恐怖を見せつけた上で、あえて考える時間を与えることで、日本側が「戦争になれば絶対に勝てない…開国するしかない」と諦めるのを待つという、非常に頭の良い心理戦だったのです。

予想外の早さ!黒船の再来

翌年の1854年、「1年後と言ったな。あれは嘘だ」とばかりに、ペリーは約束よりもずっと早いタイミングで再び日本の海に現れました。しかも今度は、前回よりもさらに多い7隻(のちに9隻)という大艦隊です!幕府の準備が整う前に圧倒的な武力を見せつけることで、交渉を完全にアメリカのペースに持ち込み、「もう国を開くしか道はない」と幕府にトドメを刺したのです。
🤝

歴史の転換点!日米和親条約

1854年3月、ついに江戸幕府は折れ、ペリーとの間で日米和親条約(にちべいわしんじょうやく)にサインをしました。下田(静岡県)と函館(北海道)の2つの港を開き、アメリカの船に水や食料を補給することを約束したのです。これにより、日本が200年以上も続けてきた鎖国(さこく)というルールが完全に崩れ去り、日本は世界という巨大なステージに無理やり引きずり出されることになりました。
🎁

ミニチュアSLと電信機の衝撃

条約を結ぶ際、ペリーは日本へのプレゼントとして「ミニチュアの蒸気機関車(SL)」や「電信機(遠くにメッセージを送る機械)」を持ち込んでいました。これを見た日本の武士たちは、「西洋のテクノロジーは魔法のようだ!」と目をキラキラさせて大興奮!ペリーは武力で脅かすだけでなく、西洋の素晴らしい技術を日本に紹介し、日本の近代化への好奇心に強く火をつける役割も果たしました。
🥀

帰国後の大ベストセラーと最期

大仕事を成し遂げてアメリカに帰国したペリーは、日本への航海の記録をまとめた『日本遠征記』という分厚い本を出版します。これは当時のアメリカで大ベストセラーとなり、謎に包まれていた日本の姿を世界中に伝える貴重な資料となりました。その後、1858年に63歳でこの世を去りますが、彼がこじ開けた日本の扉からは、やがて明治維新という新しい時代の嵐が吹き荒れることになるのです。
スポンサーリンク
スポンサーリンク